黒歴史を紐解きながら、パクリと学びの違いについて考える

黒歴史小説を読み返す

過去のノートを実家から今住んでいるところにもってきているのですが、中学生の頃、ロードス島戦記や銀河英雄伝説に影響を受けまくった黒歴史小説を書いていました。実に70ページの中学生がノートに手書きしたにしては大作でした。

こんな感じで、時に図表を交えながら書いてありました。キャラクターは多分サイコロを振って能力値を決めていたんだと思います。最初の構想では、TRPGの様に成否をサイコロで判定して、結果に沿って物語を書いていこうと考えていた覚えがあります。

が、早々にその試みは放棄され、途中から銀河英雄伝説を中世ファンタジーに持ち込んだようなストーリーになって行きます。

黒歴史ストーリーのあらすじ

物語は、当初はTRPGの延長で雑魚敵退治に森に入るところから、古代遺跡のようなものを発見し、中に入ると邪神像と暗黒系パーティと遭遇。相手が圧倒的に強く、捕まって牢に入れられ、「名も無き狂気の神」と名乗る人物に牢を開けられ脱出する所までで一つの区切りになります。

場面は変わり、ヤン・ウェンリー丸パクリのキャラ設定の人物(ダークエルフ)が美少女副官と隣国を寡兵で攻略していく物語になります。隣国の攻略は比較的ページを割いていましたが、隣国攻略後は、一気に残り2国攻略で大陸西方域統一になるまで話が飛びます。

最後の一国で、相手方に最初の話に出てきた主人公パーティが参戦し、呪操兵というワースブレイドに出てくる魔力増幅ロボットで超強力な魔法を放ち、圧倒的不利な状況を逆転します。

そもそも、ヤン・ウェンリーもどきダークエルフ(悪人ではない)はなぜ西方域を統一しようとしていたのかというと、世界を滅ぼす竜が復活しようとしており、その竜に一丸となって立ち向かうためでした。

ところが、主人公パーティに阻止され、結局竜の復活に間に合わず、主人公パーティと一緒に竜と戦い、主人公と主人公の彼女みたいなキャラのエルフ以外みんな死んでなんとか竜を倒すというオチでした。

回収せずに忘れている伏線も多々あり、もう少し膨らませないと超展開過ぎる部分が多々ありました。

パクリと学びの境界

今になって冷静に見返すと、キャラ設定など、ロードス島戦記や銀河英雄伝説からパクっている要素が多々あります。「いやいや、パクってるんじゃない。影響を受けただけ」という言い方もできそうですが、影響を受けているのとパクっているのはどこで線引きできるのだろうかと改めて考えてしまいました。

キャラ設定をヤン・ウェンリーからパクっているのはよくわかるのですが、キャラ設定なので、別に同じセリフをしゃべるわけではないですし、厳密にヤン・ウェンリーと同じ性格というわけでもありません。背景も未来と中世ファンタジーで全然違います。だったら、これは影響を受けているだけと言えるのでしょうか。

主人公パーティもロードス島戦記のパーンやディードリットのパーティ構成とほぼ一緒です。スレインをハーフエルフの女の子にしてあるぐらいです。これも、名前も違いますし、ロードス島戦記のセリフをそのままパクったわけでもありません。

大事なポイントは「面白いこと」

私の中で、ヤン・ウェンリーもどきも主人公パーティの構成も、やはりアイデアのパクりになってしまっている気がします。要は、誰かがやった面白いアイデア(ヤン・ウェンリー≒軍人らしくないのに戦争の天才というアイデア、種族が全く異なるメンバーで構成されたバランスの取れた凸凹パーティというアイデア)をそのまま真似してしまっており、元ネタが読者・視聴者に透けて見えてしまったらもうパクリになってしまう気がします。

学ぶと言うのは、そのアイデアに自分なりの工夫を入れて始めて成立するものなのではないかと思います。

 

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