死んでいるのか生きているのか-返校Detention-【ネタバレ注意】

台湾の学校を舞台にしたホラーゲーム-返校Detention-

よく見ているニコニコ動画のゲーム実況で、「返校Detention」という台湾の学校を舞台にしたホラーゲームをやっていたのですが、この物語が秀逸で、ゲームのデザインもスタイリッシュなゲームでした。

 

ネタバレすると以下のような話です。


シックスセンスのようなオチの物語ですが、東洋の地縛霊のイメージそのままの物語でもあります。

この物語は、1960年代の台湾の学校で、国民党が戒厳令を布告していた時期が舞台になります。言論の自由は認められず、自由主義は弾圧されていた頃の話です。

ゲームの開始時は男子学生が主人公のように見えますが、男子学生はすぐに死に、死ぬ前に体育館で出会った女子学生が主人公になります。以後、物語の最後までこの女子学生が主人公です。

オチとしては、主人公の女子学生はすでに死んでいて、この女子学生から見ると死んでいる男子学生のほうは実は今でも生きていて、現実世界ではすでに15年の時間が経過しています。

女子学生は、この男子学生を含め好きだったカウンセラーの先生やその他自由主義について秘密裏に学んでいた人々を自分の勘違いによって密告してしまいます。密告された人々はそのほとんどが処刑されるか、国を捨てなければなりませんでした。彼女は、自分のせいで人々を不幸にしたことへの罪の意識に耐えかねて自殺してしまった地縛霊でした。

彼女は、死後自分のしたことを受け入れられずに、同じ世界を何度も繰り返し経験しています。このゲームでは、自分が何をしたのかを自覚し、罪を認め、自分を受け入れる事で同じ世界の無限ループから解き放たれることが目的になります。

エンディングでは実は監獄生活を送りつつ生きていた最初の男子学生が大人になって釈放され、学校を再度訪れる場面になります。

自殺の怖さ、自殺を戒める世界観

自殺すると、自殺した時の状況を未来永劫繰り返すことになる。だから自殺は絶対にやめましょうと言った話は、東洋に共通する考え方のように思います。

個人的には、自殺しても殺されても、寿命が来て亡くなってもそんなに違いは無い気がします。なぜなら、それが自殺なのかやむをえないことなのかは主観によることも多く、はっきりとこれは自殺、これは事故、と明確に切り分けられないケースも存在するからです。

例えば、子供の命を救うために自殺行為を行う場合、それは本当に自殺になるのか、本当は死にたくなかったのだからセーフなのか、実は内心は自殺願望があっていい口実になったと考えているという場合はやっぱり自殺なのか。自分ですら心の中で曖昧なまま死んでしまうケースはどうすればいいのか。

自殺という区切りは明確に見えますが、死という現象は多様で言葉のように明確には区切れないと思います。


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