物語の基本は不快から快へ、障害の出現から突破へ

物語の基本的な流れはマイナスからプラス

昨日から物語の気持ちよさについて考えていますが、不快な感情や困った状況、とにかく読者がマイナスの感情を抱く描写は物語を創るうえで欠くことができない要素です。では、ただ単にマイナスのであればいいのでしょうか。

マイナスの状況には条件がある

例えば、ギャンブルに狂った主人公が一文無しになり、ホームレスになった挙句、「なんでこんなことになったんだ」と苦しんでいる状況があったとします。読者はそんな主人公に共感できるでしょうか。幸せになって欲しいとは特に思わず、「いや当たり前だろ」と思って終わると思います。

主人公が陥っているマイナスの状況には「自業自得ではないこと」という条件があります。主人公は自分ではコントロールできない何らかの要因により、やむを得ず困難な状況に陥る必要があります。

プラスの状況にも条件がある

次に、先ほどの主人公がその困難な状況を宝くじが当たったことによって脱したらどうでしょうか。どんな物語なのか想像もつかないぐらい面白くないと思います。物語として成立させられるほうがすごいと思うような展開です。

本当にあった話として聞く分には面白いと思いますが、創作の物語としてはこのプロットはありえないです。プラスの状況にも条件があります。あくまで「主人公の意思であり、主人公の努力の結果であること」という条件です。宝くじを買うというのは確かに主人公の意思ですが、宝くじがたまたま当たるのは努力の結果ではありません。

物語に絶対はない

では、主人公がこの状況を脱するために宝くじを買うしかないと思い込み、必死にお金を貯め、全てを宝くじにつぎ込み、10年間宝くじを買い続けた結果、一発当ててお金持ちになったらどうでしょうか。そこには様々なドラマがありそうです。そして宝くじを当てた時には自分で生き抜く力が身についており、宝くじを当てる必要はなくなっていたというオチです。

このように、宝くじが当たること自体は何の苦労もないと言う先入観がありますが、あたるまで努力し続けると言う話になると苦労が必要になります。

また、ギャンブル狂いが主人公のカイジはとても面白いマンガですし、悪漢小説の麻雀放浪記も麻雀狂いしか出てこない小説です。ダメ人間と言うだけでは感情移入できませんが、ダメなりに必死にがんばる姿は共感できます。独自性を出すためには「普通はこう」というセオリーを逆手に取る必要があります。

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