暗黒女子の面白いアイデア・仕掛け

暗黒女子はリアリティに欠ける物語?

暗黒女子のネタバレを含んだあらすじを知りたい方はこちらの記事を参照してください。今回の記事もネタバレを含みます。

今回は小説のアイデアについて、感想を書きたいと思います。暗黒女子は朗読会という舞台設定で独自性を出している小説だと思いました。

通常のミステリーでは、人が死んだあと、刑事なり探偵なりが犯人を探し出す過程が描かれます。ところが、この物語では刑事も探偵も出てこず、登場人物は6人の女子高生だけ。

1週間も自殺か他殺か不明で警察はどうしているのかとか、朗読会や期末試験を悠長にやっていられるものなのかとか、自作小説を試験期間中のたった1週間、というか白石いつみが亡くなって1週間なので、このテーマで小説を書くと決まるのはもっと後のはずで、そんな短期間でしかもこの異常事態のあとすぐに書けるものなのかとか疑問は多々あります。

また、自作小説の朗読会という設定ですが、小説の内容がその場にいる各々を名指しで犯人に仕立て上げようとしており、その場で反論したくなるのが普通じゃないだろうかという疑問もあります。

物語に細部に渡るリアリティは必ずしも必要ではない

しかしこれは逆に言えば、物語を創るうえで細かいリアリティにこだわる必要はないということを表しているとも言えます。この小説は、漫画化され映画にもなりました。

仮に、積極的なプロモーションで強引に売り出そうとしていたとしても、それだけ小説に売れるというインパクトがなければ売り出そうという話にはならないと思います。

考えてみれば、古代の物語である古事記や世界各国の神話を考えても、矛盾だらけです。これは語り継がれる途中で伝言ゲームのように話が少しづつ変わってしまったせいもあるかもしれませんが、神話はリアリティがなく、矛盾点が多いにもかかわらず今なお魅力的な物語として語り継がれています。

暗黒女子の大事なポイントはリアリティを吹き飛ばすアイデア

暗黒女子の面白いポイントは、2回のどんでん返し(1週間前の白石いつみの死が偽りだったこと、そして朗読会直前に澄川小百合によって殺されたこと)が最後に起きることです。

このオチに合わせて、全ての舞台設定を作っている点が多少のリアリティのなさを吹き飛ばしているのだと思います。アイデアの発想としては、まずオチがあり、オチを効果的に見せるために朗読会という突発事象が起こらなくても不自然ではない舞台を設けており、その舞台設定が独特だったため作品としてインパクトがあったのだと思います。

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