ファイアーエムブレムのような物語、ゲーム性と物語性の両立

ファイアーエムブレムによって確立されたシミュレーションRPG

1990年に発売された、ファイアーエムブレム暗黒竜と光の剣(以下FE)から始まったFEシリーズは30年近く経つ現時点においてもなお続編や派生作品が発売されているという息が長いタイトルです。

1作目のストーリーは裏切られて小さな島国に落ち延びた主人公とその手勢が巻き返して大陸を支配した悪の帝国を打ち負かすというストーリーで、その後のシリーズも劣勢から巻き返しを図っていくというのは共通しています。

リアルであるがゆえのシミュレーションゲームの課題

光栄の代表作である信長の野望や三国志では、最初から大国でプレイを開始することも、小国から初めて大国を打ち負かすことも可能です。ある意味リアルな話ではあるのですが、強くなってくると相手が弱すぎてゲームとしては面白くなくなってしまい、作業をしているような気持ちになってしまいます。

最後の1国を滅ぼす時などは、全く緊張感もなく「やっとおわりか」ぐらいの気持ちです。面白いのは序盤から中盤に掛けて、勢力が劣勢から均衡してくるぐらいの時がピークです。

これは、最終局面にクライマックスを持ってくるという物語の基本から外れており、ゲームの上でも最後の達成感が感じられないという課題があります。この課題は、三国志や信長の野望ではゲームの仕組み上どうしようもないものであり、武将を育成するRPG要素が追加され、シミュレーションRPG色が強くなった今でも解決はされていません。

FEはリアルさを捨て、クライマックスを最終局面に配置

FEは戦いの局面を切り取ってマップという形で、ステージを作り進める方法を取っています。こうする事で、味方の勢力と敵の勢力をマップ単位でコントロール可能にしました。

味方は確かにマップが進むに連れて強くなりますが、信長の野望のようなゲームが味方が強くなると敵が弱くなってしまう(そのほうがよりリアリティがあります)のに対しFEは味方勢力が強くなるのにあわせて、マップごとの敵を強くすることによって最後にクライマックスをもってくることができるようになりました。

冷静に考えると、最終マップの頃などは味方勢力のほうが圧倒的な軍事力があるはずなのですが、最後まで劣勢で戦うことになります。

こうして考えると、物語の楽しさとゲームの楽しさには共通するものがあります。

 

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