女神転生シリーズ。神も悪魔も妖精も一つの概念。善悪とは。

物語の原点、世界各地の多神教の神話体系

古代の物語の原典とも言える神話は世界中に存在し、神話ごとに様々な神が生み出されました。神話は物語なので、神を登場人物として構成する必要があり、必然的に多神教が一般的だったのではないかと思います。

そのうち、一神教が生まれ完全無欠の神を中心とした宗教が確立すると、多神教は神話と言う形でのみ残り、宗教としての地位は低下していったように思います。

そんな中、日本には八百万の神が存在し、神社は様々な神を奉っていることから、いまだに多神教が正式な宗教として残っているのは珍しいのではないかと思います。

神も悪魔も全部「悪魔」という概念にまとめてしまった女神転生

それはともかく、それら世界中に存在する様々な神や神に対抗する悪魔、妖精や怪物を悪魔という一つのカテゴリーにまとめてしまったのが女神転生という小説であり、ゲームでした。もともとは小説で、悪魔召還プログラムを開発した主人公が世界を救うと思いきや一人の女性を選んで世界が滅ぶという物語です。

その主人公とヒロインはイザナギとイザナミの転生した姿で、イザナミの転生したヒロインがタイトルの女神転生につながります。この小説を原作として、ゲームでは悪魔召還プログラムで神も悪魔もすべて電子データと化し、同じ電子データ同士の神と悪魔を合成することによってより強力な仲魔(神や妖精等々すべて包含した女神転生の概念)を作り上げ、ラスボスのルシファーを倒すと言うのがシリーズ1作目でした。

その後のシリーズでは、そもそも神も悪魔も一つの概念として包含した点が強調されていき、自分で倒すラスボスを唯一神(キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の神であり、今振り返るとよく怒られなかったと思います。最近の作品はさすがに唯一神は倒しません)にするかルシファー(唯一神に反逆した悪の頂点)にするか、それとも両方倒すのかと言った展開を選ぶことができるようになり、善悪とは何かを考えさせられる作品になります。

私はもともと神話が大好きだったのでこのゲームは非常に好きでその後のシリーズも全てではありませんがかなりやりました。

世の中に絶対というものはないことを教えてくれた作品

子供の頃の物語は大抵は勧善懲悪で、善はいいもの、悪は悪いものというのが普通です。しかし、このゲームでは善には善の都合があり、悪には悪の都合があり、それぞれの都合に沿って行動しているだけであり、どちらがいいとか悪いとかではないという考え方です。そして、自分で自分の道を選びたかったら膳にも悪にも属することなく自分の道を選ぶこともできます。

いまでは異なる善同士の対立で争いが起こるという話は目新しくないですが、勧善懲悪が一般的だった当時はこの考え方はかなりインパクトがありました。

このゲームを通して様々な神話や神様のエピソードを知ることができ、独特の世界観は今なお新シリーズが出続ける原動力となっています。

 

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