意味のある無しについて

意味があることとは、意味がないこととは

一般的に、ゲームは「意味がないこと」に分類されているような気がします。ゲームしてなにか意味があるのか?何か役に立つのか?この文脈で言う「意味」とは、自分自身を将来的に幸せにするための投資としての時間の使い方を表しているのではないでしょうか。

例えば、仕事をしていて、今やっていることに何の意味があるのかと考えるとき、ここでの「意味」はサービスや製品を提供するお客さんに対して、それをする事でどのような付加価値の増加が見込めるのかということを意味しています。

このように、状況によって「意味」の意味することは変わっているにもかかわらず、漠然と意味という言葉を使っているような気がします。

例えば、ゲーム自体は意味がないことだったとして、ゲームの中でも意味がないこと意味があることがあったりします。例えばオンラインゲームではランキングの上位を目指すに当たって意味があるプレイと意味がないプレイがあったり、単純にゲームをクリアするに当たって意味があるプレイや意味がないプレイがあります。

究極的には全て意味がない

昔、人生が不可解だと華厳の滝から飛び降りて自殺してしまった人がいるそうですが、人生全体がそもそも意味がないというか、意味がわからないものになります。我々はいずれ死に、子孫を残そうが残すまいが、財を築こうが築くまいが、死んだ後、この世のことはもうわからなくなります。

いやいや、あの世があって魂として永遠に生きるのだ、であればこの世の全てのことにむしろ意味があるという意見もあると思いますが、自分をその永遠に生きる魂のほうだとすればそうかもしれませんが、現世に生きる私達はその永遠に生きている魂のほうではなく、この世限りの一人格に過ぎず、今自分だと思っているこの人格は間違いなく失われます。

これは、今の自分が前世について何の記憶も持ち合わせていないことからもわかります。極希に前世の記憶がある人がいたとしても、現世の自分とはまた別の人間・人生だと思います。

意味は本当に必要か

こうなってくると、そもそも意味を見出す必要は本当にあるのだろうかと疑問になってきます。見出さなければならないのは、自分が幸せを感じることができるかどうか、楽しいと思えるかどうか、生きていてよかったと思えるかどうか、そういったところが重要になるのではないかと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です