ゲームと小説の大きな違い。二人称が有効かどうか。

主人公が喋らないロールプレイングゲーム

最も有名な主人公が喋らないロールプレイングゲームはドラゴンクエストだと思いますが、ドラゴンクエストに限らず主人公が全く喋らないロールプレイングゲームは結構多いと思います。

これは、主人公=プレイヤーという状況を作りたいと考えた時、主人公が自分の言葉で喋ってしまうと、プレイヤーと同一視しにくくなるため、あえて主人公に語らせないのだと思います。物語を進める上で、受け答えの内容まではゲーム内で自由にはできませんが、言い方とか使う言葉は年齢や性別で異なっており、そこに想像の余地を生む事で主人公との一体感を出したいという意図なのだと思います。

一方で、最近のファイナルファンタジーシリーズのように映画のような世界観を追求していくと、主人公はよく喋ります。これは、主人公=プレイヤーという考えを捨てています。

二人称小説が非常に少ない理由

小説の中で、「あなたは…」という二人称の小説はあまり見たことがありません。あなたはと言われると、読者=主人公のような形になりますが、小説はゲームとは異なり、自分の意思で選択する余地がありません。

読者が「自分だったら絶対にそういう選択はしない」と思うことを、小説では作者が勝手に選択してしまうことが普通に起こりえます。このため、読者=主人公の状況を作るのは非常に難しくなります。

例えば、こんな感じで違和感があります。

あなたは、魔術学院で専攻していた古代語の知識を使い、壁に書かれている古代語を読み解いた。
「東の塔の頂にある十字架を南の祠の祭壇に移せば道が開かれる」
あなたは、このことを仲間に伝えた。

読者は魔術学院なんて行ってないでしょうし、古代語の知識もないと思います。また仲間に伝えたというのも自分の意志ではありません。読んでいるほうは「あなたは、と言われているけど自分ではない」という気持ちになると思います。

小説ではなく、ゲームブックではこの「あなたは…」という二人称形式がよく出てきます。これは、ゲームブックは当然読者自身が選択肢を選び続けることになるため、自分の意思に反して勝手に作者に意思決定されるという状況が起こりにくく、主人公=読者という状況を生み出しやすいためと思われます。

先ほどの例でも、以下のように選択肢になっていると自分で意思決定ができるため、二人称の違和感が和らぎます。

あなたは、魔術学院で専攻していた古代語の知識を使い、壁に書かれている古代語を読み解いた。
「東の塔の頂にある十字架を南の祠の祭壇に移せば道が開かれる」
あなたは、このことを
・仲間に伝える。
・仲間に伝えず読めないフリをする。

ゲームを小説化するもしくは小説をゲーム化する際の留意点

ゲームはプレイヤーの意思決定が反映される、小説は読者の意思決定は反映されないという点を踏まえて相互の展開については考える必要があります。

小説がゲーム化する場合、なかなか名作ゲームができないのは小説はすでに物語として規定路線が出来上がっているため、ゲームの面白さであるプレイヤーの意思決定の反映が難しい点にあると思います。小説がゲームとして面白くなるためには、ゲームブックのように様々なIFの要素が想像できる物語である必要があります。

逆に、ゲームが小説化する場合の方は簡単で、ゲームの様々選択肢のベストエンディングにたどり着く選択であったり、なんらかの選択のうち小説として上手く収まる選択を取ったケースを一つの物語とし、後は構成やレトリックの部分でカバーする感じになるのではないかと思います。

 

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