今さらながら「君の名は」を見て【ネタバレ注意】

今さらながら「君の名は」を見た感想

dTVで高画質バージョンを500円で見ることができたので、今さらながら「君の名は」を見ることができました。

新海誠監督の作品は、秒速5センチメートルでもそうでしたが、背景の美しさが売りのようなところがあるため、通常版ではなく高画質版で見ました。

背景の美しさは言わずもがなですが、このブログのテーマである物語に焦点を当てて感想を書いていきたいと思います。

体が入れ替わるという古典的なアイデア

体が入れ替わってしまうというアイデアは、それほど目新しいアイデアではないと思います。ドラマや漫画、探せばかなりの数の物語が出てきます。

「君の名は」では、東京の高校男子と田舎の高校女子の体が入れ替わってしまうという話です。

映画のプロモーションを見ていると、入れ替わった二人がお互いに出会いたくても出会えないみたいなイメージがありました。

ですが、よく考えると入れ替わるだけならそれぞれ相手の体で出会うことはできるはずです。携帯もつながるでしょうし、どちらかがどちらかの住んでいる場所まで行けば普通に会えるのではないでしょうか。

時間軸がズレているというギミック

なぜ、この二人が出会うことができないのか。映画の途中でそのトリックが明かされます。入れ替わっていたのは、現在の高校男子と三年前の高校女子だったのです。そして、高校女子の方は現在はすでに亡くなっています。

このため、二人はどうしても出会うことができなかったのです。

この時間軸のズレというアイデアはそれ単体だと、入れ替わりというアイデア同様そこまで目新しいものではありません。

でも、この二つのアイデアが組み合わさる事で、目新しい物語になっています。

死という結果を覆す物語

この話は、第一幕で入れ替わりの話、ファーストターニングポイントで時間軸がズレており、すでにヒロインの高校女子の町は隕石の落下でなくなっているという事実が明かされ、ミッドポイントで高校女子の時間軸上で隕石落下前に町民を避難させるという話になり、セカンドターニングポイントで町長である父親に避難を阻止されそうになります。

クライマックスでは、隕石が接近する中、二人が時間軸のズレを超えて出会い、一気に避難という解決に向かいます。

エンディングでは、互いの存在が記憶から消えてしまった二人が、東京で偶然出会い、「君の名前は?」というシーンで終わります。

ちなみに、あれだけ前前前世という歌が有名になったにもかかわらず、彼らの前世は関係ありません。

強いて言うなら、はるか昔、同じように湖ができるほどの隕石が落ちたことを教訓に、先祖代々受け継がれた儀式が、実は二度目の隕石落下による悲劇を防ぐための不思議な力を備えていたという点が、ちょっと前世っぽい話ではあります。

 

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