キン肉マンを改めて読んでわかったこと。物語の整合性の役割

キン肉マン1巻~29巻までを読んでわかった物語の説得力

Lineマンガの無料キャンペーンにつられて一通り1巻~29巻まで読み直してしまったキン肉マンですが、私が記憶していた以上にいい加減な理屈で成り立つ物語でした(巷ではゆで理論というそうです)。

ここで改めて感じたのは、「物語にはどこまでまともな理屈が必要なのか」という点です。すべてが現実世界の理屈に沿っていなければいけないのであれば、SFやファンタジーの物語を創ることはできません。

SFやファンタジー、キン肉マンのような架空の世界をベースにした物語は、どこか現実世界の理屈とはかけ離れている理屈が必要になります。

代表的なものは魔法です。魔法は現実世界には存在しません。魔法のエネルギー源はマナと呼ばれるものだというのはロードス島戦記ソードワールドRPGの設定ですが、そもそも魔法にエネルギー源が必要かどうかという所から考える必要があります。

物語で魔法が無限に利用可能な何でもありなものになってしまうと、全て魔法で解決すればいいということになってしまい、物語が非常に作りにくくなってしまいます。

そこで、有限なエネルギー源の設定をしたり、精神力のような限界のある能力に依存するなどの設定をする必要があるためのもので、別にどうしても必要な設定というわけではありません。

通常は前後で矛盾が生じないようにする

物語の説得力は、その設定がいかに「それっぽいか」にかかっています。魔法自体がそもそも現実には存在しないので、魔法がどのような働きかは全て作者が自由に設定できてしまいます。そこで、前はこういっていたのに、今は違うことをいっているということが容易に発生し、その矛盾に気付いたとたんリアリティがなくなり、受け手は興ざめしてしまいます。

いや、今まではそう思っていました。

物語の整合性は面白さの必須要素ではない

改めてキン肉マンを読んでみて思ったのは、その場その場でそれっぽければそれなりに納得してしまうということです。もともと精緻な整合性を持った物語であれば、ちょっとした綻びが気になるところですが、キン肉マンは全ての場面で場当たり的に設定が決まり、ころころ変わっていく物語なので、だんだんそれに慣れてきて「キン肉マンだから」と気にならなくなってしまいます。

例えて言うなら、めちゃくちゃ散らかった部屋に丸まったティッシュが落ちていても特に目立ちませんが、完璧に片付いた部屋に落ちているとすごく目立つみたいな話です。

そして、その場の雰囲気で盛り上がる設定かどうかを最優先し、それに適当に理屈をつけてそれっぽくするだけで、面白い物語は作れるということをキン肉マンは体現してます。

そう考えると、「それは理にかなっているか」よりも「それは面白い設定か」をまずは考えることが物語を作るうえでは重要なのだと思います。面白い設定で理にかなっていないはありですが、理にかなっていて面白くない設定はなしということです。

ちなみに面白い設定でかつ理にかなっていた物語として私の中で印象に残るのは、魔法少女まどか☆マギカで、これはこれで本当に衝撃を受けました。

   

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