戦いの歴史はそれだけで物語に。命を賭すということ

戦いは物語の題材になりやすい

大河ドラマや小説、マンガでも史実の戦いを題材にした物語は数限りなくあります。現在連載中のキングダムセンゴクは非常に面白いと思います。

史実で実際に起こった戦争の歴史が物語の題材として利用しやすいのは、人の生き死にがそれだけでドラマになるからだと思います。

ファンタジーの世界では、人が生き返らせることができるかどうかは作者の設定次第でどうとでもなります。史実を基にした物語でも、別に生き返るというファンタジー要素を取り入れるのは作者の自由ですが、リアリティを出すために基本的には死んだ人間は生き返りません。

この死んだら終わりで、どれだけ活躍していたキャラクターも二度と帰ってくることはないというのは、物語を非常に面白くします。

史実では、ものすごく活躍した人物も容赦なく無く亡くなります。ヒーロー補正もご都合主義もそこには存在しません。

そこが物語を作るうえで意外性を生んだり、史実に沿っているという前提を受け手に理解させることによって、非常に魅力的なキャラクターが「何年後に亡くなる」ということが先読みでわかる切なさという物も演出できます。

すべてが無に帰する時に人の心は大きく動かされる

先日記事にしたニーアオートマタの最後にも、プレイヤーにセーブデータを消去するかどうかを問う演出があります。これはニーアレプリカントでもあった演出で、プレイヤーがセーブデータを消す選択をすると、ほんとに全てのデータが消去され、今までプレイしてきた全ての時間が無に帰します。

これは、プレイヤーが選択するものなので、選択しなければいいだけの話なのですが、先日の記事で紹介した動画ではいずれも実況プレイをしていた方は最後に全てのセーブデータを消去する選択をしていました。

見ている側としても、それがとても自然なことのように思えました。今までプレイしてきた内容にもう二度と戻ることができなくなるつらさより、全てが消えることによるカタルシスの方を取ってしまう物語でした。

今まで積み上げてきたいろいろなものが全て無に帰るというのが「死」という演出です。それは、私達にもいずれ必ず訪れるものであり、であればこそ私達の心に深く響くことになります。

   

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