失うものがドラマになるのは命だけじゃない。記憶を失う物語。

失うことによるカタルシスを狙う物語

命は失うと二度と戻ってこず、すべてが失われてしまいます。そのキャラクターは、もはや各人の記憶の中で蘇ることしかできなくなります。

ただ、物語によっては霊として復活し、死んでいるにもかかわらず人格が残っているケースもあります。この場合には死んだといっても物語的には死んでいないといっていいと思います。

この霊として存続するパターンは、一時的に死のカタルシスを演出したいものの、キャラクターとしては残ってもらいたい時に使われる手法です。似たような手法として、復活というものがあります。復活は一度死んだものの、肉体を伴って元通り生き返るということです。ドラゴンボールキン肉マンではよく使われていました。

何をもって死とするのか

霊として存続するケースも、復活するケースも一旦死という状態を通過するものの、物語の中では物語を紡ぐ役割を引き続き担っているため、実質的には死んでいません。

一方で、生きていたとしても植物人間になってしまっていたり、進撃の巨人のアニのように結晶体に閉じこもって二度とでてこなくなったり、何らかの理由で物語を紡ぐ役割を途中で降りてしまったキャラクターは実質的に死んでしまったことになります。

このように、物語上の死とは、肉体の死の状態を指すのではなく物語を新たに紡ぐ能力が残っているか失ってしまったかで判断するほうが合理的な気がします。

失うことでカタルシスを生むもう一つの要素「記憶」

本当の死は、全ての人から忘れられた時だという人もいますが、記憶も失う要素の一つです。記憶がなくなってしまい、それまでのかけがえのない思い出が失われるときも物語の中で大きなカタルシスを感じる瞬間です。

記憶がなくなる演出は、その後もそのキャラクターが普通に振舞うことでますます切なさが増すという特徴があります。記憶がなくなる演出は、記憶と引き換えに何か大切なものを守るとか、そもそも一定期間ごとに記憶がなくなってしまうとか様々なシチュエーションがあります。

また、物語の登場人物全員の記憶がなくなる演出ではカタルシスというより、ミステリーの要素が強くなりますが、カタルシスという側面から見ると、主人公は記憶があり、かけがえのない相手の記憶が失われる、もしくはその逆というシチュエーションが最も切ない演出になると思います。

 

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