わがままな人物分りがいい人
わがままな人と物分りがいい人は人生においてどちらが得なのか、ということを考えさせられることがありました。
わがままな人は自分の思い通りにならないと気がすまない人です。これは見方を変えると、自分の願望を達成するために他人に動いてもらおうとする人と言い換えることも出来ます。
一方で、物分りがいい人は相手が望む方向に自分をあわせようとする人です。見方を変えれば、相手の願望を達成するために自分が動こうとする人と言い換えることが出来ます。
一見すると、わがままな人のほうが得な気がします。物分りがいい人は相手の思う通りに行動し人に振り回されてしまう印象です。
道を譲るか譲らないかという例え
あくまで例えで、現実にそんなことはなかなか起こらないと思いますが、例えば狭い道で前から人が歩いてきているとします。このままお互いがまっすぐ進むとぶつかってしまいそうです。
わがままな人は、このとき相手に動いてもらおうとしますから自分はそのまま直進しようとします。相手がよけてくれなければぶつかります。一方で、物分りがいい人は自分から避けて道を譲ろうとします。
他方で、相手がわがままな人なのか物分りがいい人なのかは不明です。もし、相手がわがままな人だった場合、こちらが物分りがよければ避けて事なきを得ますが、こちらがわがままな人だった場合は正面衝突しないまでも互いに道を譲らず進めなくなります。
物分りがいい人は無駄な時間を浪費しない
このような例えで考えると、一見わがままな人に振り回される気がする物分りのいい人のほうが、いがみ合ったり膠着状態に陥ったりする時間が大幅に減ることになります。無駄に敵を作って足を引っ張られることも、わがままな人より格段に少なくなるでしょう。
わがままな人は相手がわがままな人だった場合戦う必要があるため、こちらがより強いことを示して相手を服従させなければなりません。そのため、強くあるために努力が必要になります。物分りのいい人は「負けて勝つ(目的を達成する)」戦術を取るため、強くなる努力をする必要がなく、時間とエネルギーの消費が少なくなります。
人生はプラスマイナスゼロ
こうして、一見すると得をしているほうが損をしているという状況はこのわがままvs物分りがいいという話以外にもあると思います。ただ総じていえるのは、人生は努力(苦しい思いを)すれば成功する確率が上がり、損をすれば得をする確率が上がり、負けることで得るものが多くなり、と人間万事塞翁が馬と言うとおり、すべてがプラスマイナスゼロになっていくのではないかと思います。