松の手入れと物語の共通点。

毎年恒例の松の手入れ

実家の庭に数本の松があり、手入れをするのが毎年の恒例行事になっています。ほぼ一日拘束されますが、それでも一部で、半分以上は両親だけで作業しています。

松の手入れは年に二回必要で、夏になる前に芽摘み、冬になる前に古葉取りを行わなければなりません。この作業はかなり大変で庭師に頼む人も多く、松が金喰いの木といわれる所以になっています。私にとって見れば時間喰いの木です。

今回は冬になる前なので、古葉取りです。芽摘みは鋏でちょんちょん芽を切って行くだけなので、そこまで大変でもないのですが古葉取りは松の芽の周囲の葉をむしりとる必要があり指先が痛くなる結構な重労働です。しかも実家では作業のタイミングが早すぎて古葉になりきれてない葉をむしりとるのでかなり力が要ります。

剪定をしながら思うこと

物語の話の何の関係があるのかわからないと思いますが、松は枝の先のほうに針のような葉が密集して生えています。その先端はどんどん分岐していくつもの芽が集まります。そのまま放っておけば虫の温床となってしまうので各先端部分を2~3の芽に減らすため鋏を入れます。

全体のバランスを見ながら不要な枝を落としたり、芽を減らしたりするうちに意外とバッサリと落としてしまっても大丈夫だと思うようになりました。

今回この過程が、物語の作り方によく似ているのではないかと思いました。

アイデアは均等にバランス良くは生まれない

松が自由に生えている状態は、ブレーンストーミングのような自由にアイデアを出している状態に近いです。松は放っておけば好き放題伸びやすいところに伸びていきます。アイデアというのもバランスよく出てくるとは限りませんし、興味があるところは厚く、興味がないところは薄く、伸びやすいところに伸びていきます。

素のアイデアを整形することで物語になる

松を美しく保つためには、その状態から全体のバランスを見ながら枝を落とし、芽を減らしていく必要があります。そうしないとごちゃごちゃもっさりとした不恰好な松になってしまいます。

アイデアも、素の状態ではまとまりがなく不要な部分も多いため、バッサリと削除したほうがいい部分や不要な表現を減らしたほうがいい部分をこまめに減らして整形していく必要があります。

また、そもそも生えて欲しいところに生えていない場合はそちらに生えやすいように芽を残したり周囲の枝を落としたりして望ましいほうへ伸ばそうとしますが、これもアイデアが出ていない箇所がある場合にはそちらにアイデアを加えて物語としてより良いものにしていく必要があります。

松も物語も仕上がった状態はすっきりとわかりやすく無駄のない状態になっている必要がある点が同じだと思いました。

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