なぜ利己的は悪、利他的は善と感じてしまうのか。キャラクターの性格付け

利己的なキャラクターと利他的なキャラクター

現実の世界でも、自分の都合ばかりを主張して相手の事を顧みない人や行動には腹が立ちますし、自分に何の得もないのに世のために人のためになることをする人や行動には感動させられます。

物語の中でも、そういった利己的な人や行動、利他的な人や行動のエピソードを挿入することによって悪を印象付けたり、善を印象付けたりすることができます。さらに、行動自体が利己的だったり利他的だったりしても、その真意は逆に利己的なら利他的(相手を突き放すことを言ってわざと嫌われて相手が危険に晒されるのを防ぐとか)、利他的なら利己的(相手を騙すためにわざと身を挺して相手を守るとか)だったりすることによって物語の人物描写を複雑にすることができます。

この手法は、利他的だと思ったら利己的だと思ったら利他的みたいな感じで何重にもすることができますが、あんまりやるとわけがわからなくなるので、上手く使うにはそれなりの技術が必要になってくると思います。

例えば、ハリーポッターと賢者の石なんかは、この手法が上手く用いられ、悪役に見えた人が善い人で、善い人に見えた人が悪役だったという展開でした。ハリーポッターはこういう展開を多用していたように思います。

マンガ七つの大罪では、ちょっとこの話から逸れますが、悪人を印象付ける名前を善人につけ、善人を印象付ける名前を悪人に付けてギャップを生み出すという手法が使われています。

なぜ利己的だと悪、利他的だと善と感じてしまうのか

我々は、利己的な人は損をし、利他的な人は得をすると童話や勧善懲悪の物語でたびたび教え込まれますが、どちらが得かは時と場合によります。

利己的な人ばかりの中で利己的に振舞うと、当然利得の取り合いになりますが、そんな中で利他的な人が現れれば、利己的な人が味方を増やして少しでも他のメンバーより優位に立つために利他的な人に有利な条件を利他的な人に提示しあうかもしれません。もしそうなれば、利他的な人は得をします。

また、利他的な人ばかりの中で一人利己的な人がいると、その人は他の人から色々な利得を得ることができるかもしれません。

自分から見て、自分が最大の利得を得ることができるのは自分以外が全員利他的だった場合です。自分はどうするか別にして、周りの人が利他的であれば自分にも利得を分け与えてもらえます。

一方で、自分が一番利得を得られないのは自分以外が全員利己的だった場合です。自分が利己的でも利他的でも周りの人は利得を奪おうとしてくるでしょう。その状況から身を守るために多大な労力を強いられることになります。

これはすなわち、自分を基準としてみた時に、自らが幸せになれる環境を作ってくれる人を善と感じ、自らが不幸になる環境を作ろうとする人を悪と感じているのではないでしょうか。

 

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