最近ドラマなどでも取り上げられるネットでの私刑について

ネットのコメント欄や掲示板での批判が対象を追い詰める

ネットで住所を晒されたり、顔写真や本名を晒されたり、何らかのモラルが無い行動を取った人に対して、全く無関係な人が素性を調査し、個人情報を晒してしまうということがあります。

明日の約束というドラマでも記事がきっかけで掲示板で炎上し、罪の無い教師が責められたりするという描写がありました。

真実は、当事者の間でしかわかりません。特にいじめというのは、もちろん絶対にやるべきではない、いじめた時点で悪というのはありますが、非常にできた人間、一緒にいて心地よい人間をいじめる人はいません。記事の内容だけで正義感にかられていじめた人間を攻撃したその人が、実際にその環境にいたら自分もいじめていたかもしれないのです。

また、不倫についてもよく批判されますが、不倫はされた人が傷つくのは本当によくわかりますし、自分は簡単に家庭が崩壊するリスクのあるようなことはしませんが、当事者ではない人が赤の他人の不倫に対して憤っているのはちょっと不思議です。

例えば、近所の顔見知り程度の人が不倫してたらしいよという噂話を聞いた時、「なんて酷いことを!」と、その人のところに怒鳴り込んだりはしないと思います。単に興味深げに「へー、そうなんだ、○○さんちも大変だね」ぐらいの感じではないでしょうか。

対象を批判したくなる理由を考える

かつて、インターネットが無かった時代、世間のことは新聞やテレビ、雑誌のような媒体からしか得ることができませんでした。情報にはタイムラグがありましたし、それについて思ったことを伝えるのはせいぜい友達や家族ぐらいだったと思います。

ところが、今は知りたいニュースについて色々と検索してさらに情報を収集することが可能になり、コメントや掲示板で不特定多数の人に自分の考えを聞いてもらえるようになりました。その不特定多数からも情報が提供され、嘘か本当か根拠もないまま尾ひれがついて広がっていくということが起こるようになりました。

これはネットの負の側面であると同時に、マスコミという媒体の嘘ややらせも一般人にすぐに知れ渡ることになり、人類の知識レベルを底上げするというプラスの側面も生まれました。

ともあれ、誰かに聞いてもらえる、悪い人間を叩くことは逆に批判を受けるリスクが少ないということから、心の中で思ったことが文章化され、その文章を見た人がさらに文章化するという連鎖反応が生まれているのが現在の状況だと思います。

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