運があるから物語は面白くなる。不確定な要素の重要性。

実力だけで結果は100%決まらない

物語も人生も、運の要素が全く無かったら結果が全て見えてしまうことになり、味気ないのものになってしまいます。例えば受験で、試験当日にたまたま前日にやった問題が出たとか、調子がよかったとかで合格することは無く、試験すらなくあなたはこの高校ですとか、資格を取れませんとか決まってしまうようなイメージです。

物語では特に、絶体絶命な状態をひっくり返したり、余裕で勝つと思った勝負に大敗北したりといった意外性が物語の面白さを作り上げているため、絶体絶命な状態で普通に死んだり、余裕で勝つと思った勝負で余裕で勝ったりするというのは、たまにある分にはいいのかもしれませんが、全てそれだと何の面白さもありません。

オンラインゲームでもガチャという運要素で何十万円、何百万円も課金してしまう人がでるほど運要素が面白さの重要なポイントとなっています。

単に運だったというだけでは面白くならない

人生においては、単に運がよかっただけということで上手くいくことは結構あります。運がよかった理由を考えればそれなりに理由として思い当たるものがあるかもしれませんが、基本的にそのような理由は後付で考えたからいえるといったものが多く、当初の予想に反した結果になったときには単なる運であることも結構あります。

これが、物語になると単に運がよかったというだけでは説得力が無く、実は裏で手を回していたとか、もともとそういう作戦だったとかという話になる仕込み型の展開と、あらゆることについて手を尽くし、あとは運に頼るのみという状態にして、実際に運に任せる(大抵の場合は上手くいくことになります)という人事をつくす型の展開があります。

また、運がよくなるアイテムの存在により運がよくなったという説明でもファンタジーの世界のような物語であれば立派な理由になります。どちらかというと、のろわれたアイテムにより運がなくなったという展開の方が多い気がします。

どちらにせよ、このあとどうなるのかハラハラさせる展開を作るために、運の要素を物語に盛り込むことは必須になります。

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