トンデモ理論でも面白ければ問題ない理由。物語の重要なポイント

トンデモ理論でも問題ない理由

戦国IXAというスクエアエニックスが運営するブラウザゲームをやっていますが、最強の攻撃力を持つ部隊として騎馬鉄砲隊という部隊を作ることができます。騎馬の機動力と鉄砲の攻撃力を兼ね備えた最強の部隊という設定です。

一見すると特に問題ないように見えますが、これを実際に実現しようとすると非常に難しいどころか、「本当に強いの?」と思ってしまいます。

まず、戦国時代の鉄砲なので、弾を込める作業が大変です。馬に乗りながらできるのでしょうか。馬に乗りながらできないなら一旦降りて弾を込めなければならず機動力はそんなにありそうにありません。何せ、一発撃ったらまた弾を込めないといけないのです。

本気で騎馬鉄砲隊の運用を考えたら、まず弾を込める作業を下馬して行い、馬に乗って鉄砲を撃って鉄砲をしまって騎馬で移動、次のポイントでまた下馬して弾を込め、と騎馬隊で切り込んだり鉄砲隊で待ち伏せして敵を殲滅したりといった感じよりかなり地味な感じになります。

ところが、ゲーム内では騎馬隊より若干劣る機動力と最強の攻撃力という数値であり、現実的には運用できなかったとしても立派に最強部隊になっています。脳内でも、なんとなく騎馬突撃で槍や剣の代わりに鉄砲を乱射する姿をイメージできてしまいます。

このように、現実にやろうとするとできないけれど頭の中で描けてしまうという人としての能力(想像力)がトンデモ理論を問題なく物語りに組み込むことに一役買っています。

現実に可能かどうかではなく、イメージ可能かどうか

実際にやってみてできるかどうかではなく、イメージできるかどうかが物語では重要になります。ファンタジーでよくある背中に翼が生えた種族とかも、物理的にはその姿で空を飛ぶのは無理だと思いますが、なんとなく翼が羽ばたいていれば空が飛べてしまえるようなイメージができてしまいます。

また、ドラゴンが炎や氷のブレスを吐いたりするのも現実にはそういう機械とかでなければ無理でしょう。それも魔力的な何かのような不思議な力ということで説明されるとなんとなくイメージできてしまうため、物語の設定として成立しています。

そう考えると、物語のリアリティというのはそこまで重視する必要は無いのかもしれません。

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