神による支配は善か悪か。神の支配を逃れる物語

人は自由に自分の意志で生きて生きたいのか

人からアレコレ言われながら自分の好きなようにできないのはつらいものです。一方で、自分が何をすればいいのかわからず誰かに指示を出してもらってそれに従うことができれば楽なのにと思うこともあります。

北欧神話の世界をモチーフにしたヴァルキリープロファイルシリーズであったり、神も悪魔も同列に並べている女神転生シリーズといったゲームでは、最終的に神々と戦うことで、神々の支配を逃れるというラストが用意されています。

こういったゲームは、神=善の存在という固定観念に対して疑問を投げかけています。神は神の都合のいいように人間達を動かしているのではないか、人間は神の手のひらの上で踊っているに過ぎないのではないか、神を倒して自由を手に入れると言う物語にはこのような前提が存在しています。

ギリシャ神話で火をもたらしたプロメテウスは、人間に火を使うことを教えましたが、それが神の支配から逃れる効果をもたらし、文明を手に入れることになったと伝えられています。そう考えると、多神教の時代には神は完全無欠ではなかったため、人も神の支配から逃れるという発想が今よりもあったのかもしれません。

自由と不自由のメリットとデメリット

神の支配を逃れる物語が作られる背景には、自由は善という思想があります。一見すると、自由の方がいいに決まっているような気がしますが、もし本当に自由が善で不自由が悪なのであれば、我々は社会にでた時に全員個人事業主として独立して経営を行っていると思います。

確かに起業や独立は夢がありますが、大半の人はサラリーマンとなって給与を貰って経営者や組織の指示に従うという生活をしています。これは自由には大きなメリットがある反面、不安定であると言うデメリットが同じぐらい存在するためです。

サラリーマンと言う立場は組織の論理に振り回され、自分の考えと組織の考えが異なっていると最終的には組織の考えに従わざるを得ず、不自由な思いをする反面、仕事が忙しくても暇であっても毎月定額の給料がもらえるという安定した生活を享受することができます。

ただ、それも会社が倒産するなどで絶対とは言い切れず、不自由な方がいいというわけではありません。

 

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