男性の認識と女性の認識の違い。集中型と分散型

進化する映像型研修の中で感じたこと

最近、PC上で視聴する研修では、興味を引くためかゲームのような形式のものであったり、ドラマのようなものであったりする研修が増えてきている気がします。

研修と言うのは、本人が必要性を感じて受けるプル型の研修より、必要性をいまいち感じていないのに何らかの理由で受けなければいけないプッシュ型の研修の方が多くなりがちです。このため、何とか興味を持たせようとしているのではないかと思います。

先日の研修で、会場に集まってやるタイプの研修にもかかわらず、ドラマ仕立ての映像を視聴して途中で区切り、設定されている質問に対してグループで話し合うという形式のものがありました。

複雑なストーリーを字幕で理解する難しさ

登場人物は英語で会話し、下に字幕が出る洋画のような映像だったため、字幕を見ながら登場人物の役割やストーリー、何が問題になっているのか等々、複雑な物語を理解する必要がありました。

確かに、ストーリー自体がかなり難しいものなのですが、それでも観ていればなんとなく物語を理解することはできました。そして最初の区切りが訪れ話し合いの時間になりました。

ところがいざ話し合おうとすると、グループ内の女性はちょっとびっくりするぐらい物語を理解していませんでした。確かに、ある程度意識を集中してみていないと難しい物語でしたが、それにしても同じ時間同じものを見ていたとは思えないレベルでした。

男性と女性の認識の違い

そこで、ふと思い当たったのが女性は相手の服装やアクセサリー、容姿などを男性である私よりもはるかに詳細に見ているという事実です。普段から感じていることですが、女性は相手の服の色とか、持っているバックの柄だとか髪型とか、とにかく私が全く意識していないものを非常に詳細に見ています。見えている世界がだいぶ違うんだろうなと思います。

おそらく、あの映像が流れている間、女性は登場人物の容姿や場面の小道具等々、ストーリーと全く関係ないところにかなり意識を奪われるのだと思います。同時に字幕も追えているのだと思いますが、文字を読んでいたとしてもストーリーとして意味をつないで認識するところまでやろうとすると脳のリソースが足りなくなるのではないかと思いました。

一方で、男性はどちらかと言うと、ストーリーを理解しなければいけないと思ったら人の細かい容姿や場面の小道具なんかは一切意識せずにストーリーを理解することに集中できるのではないでしょうか。実際、登場人物の服装なんかは全く気にしてませんでした。

映画やドラマのすごさを改めて認識

映画でも同じことが起こっているはずで、こうして思い返してみると一緒に映画を見た女性に、その直後にストーリーを説明して感心されるという場面が過去に何度かあったような気がします。

ただ、映画やドラマはそれでも男女関係なく楽しめる娯楽として成立しており、見ているものや感じ方が男女でだいぶ違うのかもしれませんがストーリをわかりやすく映像を美しくする技術がやはりすごいのだと思います。

ちなみにこの話は、男性的、女性的という話で、男性的な認識をしている女性や女性的な認識をしている男性というのもありえると思います。

 

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