マラソンや登山。日常では経験できない世界を見たいと言う欲求

2回目の42.2kmを走ってみた

今日はマラソン大会に向けての練習として、2回目の42.2kmを走ってみました。前回は、給水を甘く見て30km地点まで水分を取らなかったせいで散々な目にあったので、反省を生かしました。

20kmを超えた地点で500mlのペットボトルを1本買い、30km地点で300mlのペットボトル、そして35km地点で最後の500mlのペットボトルを買って給水。さすがにこれだけ水分を補給すれば最後までボロボロになることはありませんでした。

もう一つ、前回は全く装備に気を使わず昔から履いているジョギングシューズにジャージと言う40kmを走るにはいい加減すぎる装備で走っていました。10km程度だとそれでも問題ないですが、40kmにもなるとその影響は甚大で、靴も服装も重さがじわじわ体に重くのしかかってきていました。

そこで、マラソン用のシューズを買い、足の負担を軽減するためランニングタイツとインソールを買いました。服装も、ペラペラだけど撥水加工されたランニング用の上着や短パンにして、軽量化を図りました。

それで、何度か10km走っていましたが、足の負担が劇的に軽くなり、毎回ランニング後湿布が必須だったのに、ほとんどいらなくなりました。

42.2km走った結果は、タイムが20分程度の短縮し、前回28km辺りからボロボロに崩れたペースも、今回は32kmぐらいまでは何とか保ち続け、最後も1kmあたり1分ぐらい遅れ始めましたがそこまで大きく崩れず無事走り終えることができました。

マラソンをなぜやろうとするのか

登山でもいわれたりしますが、なぜやらなくてもいい、つらいことをわざわざやりたくなってしまうのでしょうか。こういうことをやらない人によく聞かれる質問ですが、なぜだかわかりませんがやりたくなってしまいます。

強引に理由付けするとすれば、つらい思いをすると脳内麻薬が分泌され、その快感に中毒になっているんじゃないかとか、達成感を感じたいからとか、いろいろとあると思いますが、個人的に一番の理由は、普通にしていると経験できない世界を見てみたいからと言うのが一番だと思います。

42.2km走るというのは、相当がんばらないと経験できません。死ぬまで42.2km走らなくても生きて行けますが、それだけ走ったら体はどういう状態になるのか、自分に可能なのか、自分の限界はどこにあるのか。死ぬまでそれを知らなくて死んでしまうのは後悔しそうだと思い、チャレンジしています。

  

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