人が当たり前と思っていることは当たり前ではない。

かつて切腹が普通のことであった日本

洗脳というのは、ある特定の人にとって都合がいいように他人の当たり前を変えてしまう行為だと思います。このように、個人ベースでの当たり前の改変と言う話ももちろんありますが、我々が生きているこの世界で当たり前だと思っていることが別に当たり前でもないと言う話はたくさんあります。

世界的に有名な日本の昔の習俗として切腹があります。現代では切腹が誰か偉い人から言い渡されて切腹する人がいるとか、抗議のために切腹して死ぬ人とか、切腹と言う行為自体が皆無になっていますが、数百年前には誰もが切腹を言い渡されたら切腹をしていましたし、抗議の意味で切腹してなくなる方もいました。

昔はそういうことが当たり前だったし、今はそういうことは当たり前ではないということですが、こういう時「時代が変わった」という説明がされることがあります。

確かに時代が変わっていますが、時代が変わると当たり前のことが当たり前ではなくなるというのは、いまいち説得力がありません。時代は変わりましたが、正月になれば玄関にしめ縄を飾りますし、お盆になれば御先祖様にお墓参りに行くのはかなり前から当たり前のことになっています。

当たり前と思うのは周りの人と自分の考えがほぼ一致している時

当たり前と言う雰囲気は、自分の考えが周りにいる人とほぼ同じ場合に生じます。自分に特に考えが無い場合に、周りのほとんどの人が同じ考えを持っていて、話をしているうちにどうやらみんなそう考えているらしいと思った時にも、その考えに染まり「当たり前」になります。

これは、できるだけ自分の頭で考えれば当たり前の中におかしな時があることに気付きやすくなり、自分の頭であまり考えなければ誰かにとって都合のいい考えに染まって当たり前と思いやすくなり、損をしやすくなると言うことを意味します。

自分で考えると言うのはつらく楽しい作業

普段から、自分は考えて行動していると思いがちですが、自分にとってあまり重要と思っていないことは、大半が他人の意見に流されてしまっています。自分で考えると言っても、自分の頭の中だけで何かを思い描くのには限界があり、事実を集め、事実の意味する因果関係を探り、より正しいと思われる結論に近づく努力をすることが、充実した人生を作り上げていくことになるのだと思います。

 

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