単純な勧善懲悪には異形の者を使う

桃太郎の敵役が鬼でなければならない理由

古くは桃太郎が鬼退治に行く話から、相手の方が一方的に悪いシチュエーションを作りたかったら、同じ人間ではなく人間のように意思がある無しにかかわらず、とにかく人とは違う何者かを相手にする必要があります。

これは、相手が同じ人間であれば退治するといっても人殺しになってしまうからで、人殺しが正当化される戦争物の物語であればまだしも、いくら相手が極悪人であったとしても、こちらが殺人を犯してしまっては正義の味方としての説得力が薄れてしまうためです。

また、同じ人間であれば力も対等なはずであまり極端な劣勢の描写が不自然になります。鬼という怪物が圧倒的な力を持っていてもなんとなく「そういうものか」と思いますが、相手が人間であった場合なにか魔法の力だとか技術力だとか説明が無いとなぜ相手の方が圧倒的に強く正義側が劣勢なのかがわからなくなってしまいます。

一見勧善懲悪の話と見せかけて人同士の争いを描く「進撃の巨人」

進撃の巨人は、巨人という異形の者を相手に、人類が戦うと言う単純な善(人類)対悪(巨人)という構図で物語が始まります。相手が巨人ではなく圧倒的な何かを持っている同じ人間だとすると、単純な戦争物の話になってしまいます。

また、巨人の得体の知れない感じが恐怖や嫌悪感を呼び、倒すことに全く罪悪感を感じません。一種のパニックホラーのような分類の物語の印象があります。

ところが、物語が進むにつれて、巨人は実は元人間であることが徐々に明らかになり、人対異形の者という構図から、人対人という構図にシフトして行きます。

人対異形の者であれば、違和感無く殺すことができたはずですが、人対人にシフトするにつれて、巨人側の事情と言うのが気になり始めます。巨人は実はかわいそうな存在だとすると、単純に悪とはいえなくなり、善対悪から、一方が信じる善対他方が信じる善という人同士の争いの物語に変わっていきます。

異形の者が実は同じ人だったという設定は、そこまで目新しいものではなく、R-TYPEという昔のシューティングゲームでは敵が実はかつて味方だった者が変質したものと言う設定だったり、艦これの敵もプレイヤーの勝手な想像かもしれませんが同じような設定だったと思います。

こういう展開は、上手く描く事で受け手をハッとさせることができます。

  

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です