ネットゲーム依存症が病気であることについて踏み込んで考える

ネットゲーム依存症が疾病とWHOが定義

ネットゲーム依存症が国際的に病気として認定されたというのがニュースになっています。このことについて、例えばゲーム会社は反対を表明したり、ネットゲームは良くないという意見がニュースのコメント欄に溢れたりしています。

ネットゲームは廃人といわれる人が、生活が脅かされかねない時間ゲームをプレイし、お金をかけていたりします。下手をするとやりすぎで過労で亡くなってしまう方もいます。

また、過去ゲームに熱中していた人が、「あの時間をもっと別のことに使っていれば今頃もっといい人生が送れていたのに」と後悔していたりして、「ネットゲーム=よくないもの」という図式が当たり前の前提となっているような気がします。

ネットゲーム依存症はよくないが、ネットゲームは悪くない

私はネットゲーム依存症という病気が存在するからと言って、ネットゲーム自体が悪いとは思いません。「ネットゲーム依存症になるからネットゲームはやるべきではない」というと、なんとなく正しいような気がしますが、「顎関節症になるから歌を歌うべきではない」とか、「膝を痛めるからジョギングをするべきではない」とか、「滑落死するから登山をするべきではない」というと、そんなことを言っていたら何もできないと思うのではないでしょうか。

ネットゲーム依存症を「ネットゲームをやる人は多かれ少なかれ自覚する症状」という曖昧な病気ではないものと捉えた場合、ネットゲームを始めたら誰でもそうなるからやらないほうがいいという話になり、ネットゲーム自体が悪になってしまいます。

病気と捉えることで「健康な人であれば普通は大丈夫だが、健康状態や体質によってはなってしまう人もいる」ということになり、ネットゲーム自体は特に悪くなくなります。なので、病気と捉える事に異論を唱えるゲーム会社は、むしろ病気として認定されたことを歓迎してもいいのではないかと思います。

ネットゲーム依存症が病気であるとするならむしろネットゲームをするべき

例えば、風邪を引くから寒空の下で遊ばずに、冬は常時暖かい家の中で過ごすという人が、何らかの理由で寒空の下で行動しなければならなくなったとき、普段から寒空の下で遊んでいる人よりも確実に風邪を引きやすいと思います。

ネットゲーム依存症になるからと言って、ネットゲームを一度も経験したことが無かった人が、何かの拍子にネットゲームの世界を知ってしまった時、普段からある程度ネットゲームを知っている人に比べて確実に依存症になりやすいのではないでしょうか。もちろん、人生で死ぬまでネットゲームの世界を知らなければ(死ぬまで冬は暖かい部屋の中で過ごし続けられるのであれば)その問題は起こりませんが、一度もネットゲームに触れずに人生を生きていくのはこれからどんどん難しくなってくると思います。

ネットゲームをしている時間は本当に無駄なのか

ネットゲームはどうしてもかなりの時間を費やすことになりますが、その時間を別のことに使っていればというのは、「別のことに使っていたとしても結果は大差ない」と考えます。

というのも、この話はネットゲームをやっているときと同じぐらい夢中になって役に立つことをやっていればという前提がありますが、ネットゲームと同じぐらい夢中になれて役に立つことがあれば、当然そっちのほうを優先していたはずです。そういうものがなかったからネットゲームにハマっていたのであって、仮にネットゲームをやっていなかったとしても、同じぐらい夢中になれるけど特に役に立つわけではない何かを見つけていたのだと思います。

また、ネットゲームは人と人との駆け引きの勉強になります。また、明確な上下関係が存在しない中でチームプレイを要求されたり、協調性もかなり必要になります。確かに積み上げた成績は現実世界と何の関係もありませんが、ネットゲームを通して普通に生活していたら絶対出会わなかった人と出会ったり、無駄とばかりもいえないのではないかと思います。

 

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