自分でなければできないではなく、自分が何をやりたいか

生きている意味の一つ「人の役に立つこと」

最近、人生そのものについて考えることがありますが、人の生きる意味の一つに人の役に立つことというのは必ずあると思います。人の役に立つことによって、その人の価値が見出され、評価され、自己承認欲求が満たされます。

人の役に立つ対価として報酬を貰うことで生活が成り立ちますし、役に立つ度合いが大きければ大きいほど報酬も大きくなり、自分自身が幸せになります。

自分にしかできないことはほとんど無い

このような役に立つことを探してみると、例えば飲食店はお客さんの料理の手間と時間を省き、おいしい料理を提供する事で役に立ちます。また、道路を作る人は道路を使う人の役に立ちます。飲食店も道路工事業者もたくさんあり、飲食店が一つ潰れても、道路工事業者が一つ倒産しても、社会が壊滅的な打撃をこうむり回らなくなるということはありません。

個人レベルで見てみても、例えば自分が明日死んだとしても勤めている会社が潰れることはありえません。これは、自分が今までやっていたことを自分ではない誰かがやることで仕事を継続させることができるからです。

なんとなく、仕事をしていると自分じゃないとわからないことや、自分じゃないとできないと思っていることが増えてきている気がしますが、実際に急にいなくなれば、誰かが誰かなりの方法で何とかしていくことになります。

そう考えると、「自分にしかできないことを見つけろ」というのは間違っている気がします。自分にしかできないことはほとんど無いですし、仮に自分にしかできないことがあったとして、それはおそらく需要が無いために他の人がやろうと思っていないだけなのではないでしょうか。

我々が見つけなければならないのは、自分がやりたいことであって、自分にしかできないことは見つけなくてもいいのだと思います(そもそもほとんど存在しないので)。

自分が得意なこと、好きな事で役に立つ

自分が好きなことを仕事にするというのは、好きなことを仕事にすると義務感が出てきて楽しくなくなるという意見と、好きなことを仕事にできることほど幸せなことは無いという意見の正反対の意見を見かけます。

これは、好きなことの「こと」の部分の定義が違うために対立しているのではないかと思います。例えば、ゲームをすること、カラオケで歌を歌うことなどは特に人の役にはたちません。一方で、人の依頼に応じて絵を描いたり、人の依頼に応じて歌を歌ったりすれば人の役に立っています。

好きなことを仕事にするといったときに、特に人の役に立たない好きなことと人の役に立つ好きなことがあり、好きなことを仕事にすると幸せになるパターンは好きなこと自体がそもそも人の役に立っているため、仕事でやろうが趣味でやろうが大差ない場合であり、好きなことが仕事になると嫌になるパターンは、好きなことがもともとは自分勝手にやっていて誰かの役に立つわけではないものを、無理やり誰かの役に立たせるため相手の都合に合わせなければいけなくなるというものなのではないでしょうか。

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