楽しいことは起こるのではなく起こす。幸せになるためには。

「何か楽しいことないかな」という口癖

比較的本音を言いあえる位の関係にある人と雑談をするような機会があるとき、たまに「何か楽しいことないかな」という言葉を聞くことがあります。この言葉を発している時、もしくは心の中でそんな思いが長く渦巻いている時は注意が必要だと思います。

基本的に、何らかのアクションをこちらから起こさなければ楽しいことというのはありません。楽しいテレビを見たいぐらいの楽しい事ですら、楽しい番組を探して、テレビの電源を入れ、その番組を見るために時間を調整してテレビの前に座るというアクションが必要になります。もしくは録画を設定しておくとか。

ここで言う「楽しいこと」というのは、おそらくそんなテレビを見る程度の話ではなくワクワクするエキサイティングなことという意味だと思います。そんなものが何のアクションも起こさずに突然目の前に現れるはずがありません。

「何か楽しいことないかな」というのは、自分にとって楽しいことを探すというアクションを取ることなく、そして楽しいことを見つけた後その楽しいことに向かって全力で努力するということなく、そうしてやっと得られるはずの充実感だけ得たいという存在し得ないシチュエーションに対する願望です。

楽しいことを起こすために苦しいことを探す

それでも、「何か楽しいことないかな」という言葉には楽しいことをしたいという思いがあるだけ希望があると思います。本気で欝のような状態になっている人には楽しいことをしたいという気持ちすら湧かないと思うからです。

私は常々「逆方向に答えがあることが多い」と感じています。逆方向というか、達成したい目的に対して全然別の場所に目的達成のための手段がある場合が多いということです。楽しいことをするためには、楽しくないことを積み重ねる必要があります。

例えば、マラソンで上位に入るというのは楽しいことですが、そのためには人より努力する必要があります。人が見ていないところで人より苦しい思いをした人が人より楽しい思いができます(努力の方向性を間違うと一概にそうとも言い切れませんが)。お金を稼ぎたいと思うひとは、お金を何かに投資する(お金を逆に減らす)必要があります。もしくは、お金を稼ぐに値する努力(苦しい作業)が必要になります。

なので、「何か楽しいことないかな」と思った時には「どんな苦しいことなら我慢できるかな、その先にどんな楽しいことが待っているかな」と思いを馳せることができれば、楽しい幸せな生活にたどりつけるのではないかと思います。

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