幸せになるために努力する意味
一瞬の幸せを感じるという事ではなく、比較的長い期間幸せになるためには、「未来は今よりももっと良くなる」と信じられることが重要になるという記事を書きましたが、今回はその中でも努力するということについて考えたいと思います。
努力というのは、何かを一生懸命やればいいわけですが、一概にとりあえず頑張ればいいというわけではありません。単純にどんなことであれ頑張れば幸せになれると信じている人であれば、努力している間はつらさと同時に幸せを感じることができると思います。しかし、努力の方向性が間違っていると努力の結果が伴わず、いずれつらさのほうが勝るようになると思います。
努力の方向性とは
努力の方向性が間違っているため、努力している間は幸せだけど、いずれつらさが勝ってしまう典型的な例は、オンラインゲームの廃人プレイです。オンラインゲーム自体は頭を使いますし、創意工夫して上位を目指すというのは一考える行為を鍛える一定の効果があり、一概に全く無駄なものとは思いません。
しかし、廃人レベルで上位を目指すため現実の生活を犠牲にし、生活を継続できないほどの多額のお金を投じた結果、人生が破滅してしまっては幸せとは言えません。もちろん、お金がいくらでもあり、人生をかけてもいいと思えるゲームに出会い、悔いなく死ぬまでそのゲームで遊んでいられればその人は幸せだと思います。
その努力を続けた結果行き着く先というのは、努力している間にある程度予測がつきます。最初に明確に幸せの最終形が見えているに越したことはありませんが、普通は最終的にどうなっていたいかというのは漠然としており、徐々に見えてくるものだと思います。
その徐々に見えてくるものが幸せでなければ、その方向性は間違っています。
努力の量とは
努力というのは、何かを達成するために行います。達成するまでにかかる努力の量とその方向性がかみ合って、努力が実る可能性が高まります。達成する目標が高ければ高いほど、努力の量も必要になり、努力が実らず失敗する可能性が高まります。
努力の量は、やり方とかける時間で決まります。同じ時間でも効率がよいやり方ができれば量は貯まりやすく、やり方がまずくても時間さえかければやはり量は貯まっていきます。
目的を達成してしまった後
幸せは目的を達成した瞬間がマックスで、その後は新たな目標を見つけない限り徐々に薄れていきます。この辺は、面白い物語と似ていると思います。つまり、幸せな状態を持続するには常に困難に挑戦する必要があるという逆説的な話になります。