幸せの総量の最大化を考える事で自らを幸せにする

最近流行っている?不倫騒動を見て思うこと

不倫は昔からあったと思いますが、最近よく不倫のニュースを見ます。巻き込まれた当事者はそれは大変だと思いますが、外野がとやかく言うべき問題ではないという話があるのは置いておいて、不倫がなぜよくないのかについて考えてみました。

例えば、多夫多妻制みたいな感じで重婚いくらでもオッケーみたいな世界があった場合、不倫という概念自体が無くなってしまいます。

そこまでではなくても、一夫多妻制の国は実際にあり、日本もかつては正室側室という一夫多妻システムがありました。一夫多妻の世界では夫の浮気という概念が無くなり、既婚男性と独身女性の恋愛は新たな妻を迎えるという形で合法化されます。

つまり、不倫は無条件に悪というわけではないということです。あくまで一夫一婦制の中でのルール違反ということになります。ではなぜ、不倫を合法化しよう!(ルール自体を実態に合わせよう)という流れにならず、不倫するなんてとんでもない!(ルール違反はよくない)となってしまうのでしょうか。

浮気されるのは許せないという気持ちの方が上

私の勝手な推測ですが、浮気をされるリスクと浮気をするリターンを天秤にかけたとき、大半の人が浮気をされるリスクの方が大きいと思っているため、浮気はやめましょうということになっている気がします。

浮気をされた場合、生物の本能である遺伝子を後世に受け継ぐという行為が妨げられます。浮気をするしないは自分で決めることができますが、浮気をされるされないは自分でコントロールすることが難しく、自分が浮気をしない(できない)代わりに相手も浮気をできないように制度で縛られていた方が多くの人はやりやすいということなのかもしれません。

また浮気をしたい人から見ても、どのみち人目を盗んでやってしまうため、自分はやるけど他の人はダメという状況を作るためにはやはり制度で縛っておいて自分だけこっそりやるというのが最も都合がよい形になります。したがって反対する動機が無くなります。

互いにルールを守る事で幸福は最大化される

この話はゲーム理論に出てくるような話ですが、自分だけ不倫し、配偶者はルールを守って不倫をしないというと、自分の幸福が最大(仮に10)だったとします。逆に配偶者は最小になります(仮に-10)。互いに不倫をしている場合は、不倫している10とされている-10で相殺されて互いに0。

お互いルールを守って喧嘩しながらも幸せな家庭を築いている場合は互いに5だったとします。

この夫婦の幸福の合計は、自分だけ不倫は0、互いに不倫は0、ルールを守って不倫しないは10です。

ちなみに、不倫がばれた場合、家庭が崩壊し不倫した自分も不倫された配偶者も互いに-10のような状態になるリスクを常に負って不倫しなければなりません。ここに子供がいた場合家庭崩壊によって子供の幸福も-10のような状態になり被害が拡大します。

ルールを守って互いに不倫しない場合は、当然不倫による家庭崩壊リスクもゼロです。子供がいれば、子供が幸福な分、幸福の総量はさらに増大します。

さらに、不倫相手が独身だった場合、不倫している期間に結婚のチャンスを逃し、幸せな家庭を築くことができなかったらその分の幸福の機会損失は計り知れません。また、不倫相手も既婚であれば、相手の家庭でも同様の家庭崩壊リスクと、配偶者の幸福のマイナスがあります。

結局、周りの人間の幸福を自分と同じように考えられるかどうかが分かれ目になります。自分自身が不幸に陥るリスクを減らし、幸せになるためには周りも幸福にできる好循環を生み出す発想が重要になります。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です