一人はみんなのために行動できるのか?評価制度の難しさ

組織のために自分を犠牲にする全体最適

会社組織でも、チームでやるスポーツでも、組織戦が必要なオンラインゲームでも何でもいいのですが、組織の目的に沿った行動が必ずしも自分個人にとって最善の行動になるとは限りません。

組織の目的に沿って、自分を犠牲にすることが評価されなければ、個々人は自分がより評価される行動を取ることになり、組織にとって最善の行動を取ることはなくなります。

成果主義はなかなか上手くいかない

より高い成果を上げた人を評価すると言うのが成果主義ですが、組織をチームプレイで考えた時、あえて誰かが損な役回りを引き受ける事で、組織的には上手く回るということがよくあります。

例えば、契約を取る人と、その契約に従って業務をこなす人がいた場合、契約をとってくる方が目立ちますが、実際には契約に従って業務を履行する人がいなければ組織としては成り立ちません。

営業部門と製造部門の関係ですが、営業部門は大きな仕事を取ってくるために製造部門の合意を得ずに夢のような性能をアピールし、契約をとってこようとし、製造部門がそんな無茶な性能を何とか実現して支えていた場合、実際には製造部門がすごいのですが、営業部門のほうが目立ちます。逆に、営業部門が約束してきた性能を製造部門が実現できなかった時には、製造部門が責められてしまうかも知れません。

このように、成果が上がっているのが誰おかげなのかは、組織が複雑になればなるほどわかりにくくなります。成果主義は、何を持って各人の成果とするのかによって、それぞれの行動が変わってきてしまい、自分の成果にならないことは組織にとっていいことだったとしてもやるモチベーションが上がらなくなりますし、自分の成果になることは例え組織にダメージを与える結果になったとしてもやろうとしてしまいます。

全体としていい結果になればよいという制度はフリーライダーを生む

個人主義的な評価制度を採用してしまうと、各々が自分を評価してもらうために利己的な行動を取ることになり、組織にとって必ずしもいいと思われる行動を取らなくなります。

では、とにかく全体としていい結果になればいいという、チーム単位での評価をすれば各人は自分を犠牲にしてでもチームとしていい結果がでる方向に行動を取ることになるのではないでしょうか。

しかし、それはそれで、チームの誰かのがんばりにぶら下がって何もしない人が生まれるというリスクを負います。

どんな単位で評価するのが最もいいのか。組織を運営する上で評価制度は非常に重要ですが、最適解は難しいと思います。

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