悔いの無い人生とは。不確定な未来と確定した過去

今年も仕事納め

今年は、1日有給休暇を取って一足速く仕事納めとなりました。とはいえ、明日は普通に営業しているので何かあったら対応しなければいけません。

毎年1年が早くなっていくような気がします。考えてみれば当たり前のことなのですが、全人生に対する1年の割合が少なくなっていくため、感覚的に短く感じるようになっていくのだと思います。

極端な話でいくと、2歳児の1年は人生の半分ですが、80歳の1年は人生の1/80です。老いていけば、一つの作業をするにも若い頃より数倍時間がかかるでしょうから、さらに時間の流れは速く感じるようになっていくのだと思います。

こうして日々生きていくと、過去になってしまった事実は確定し、自分が死ぬ時点までの未来の不確定な世界が徐々に(あるいは急速に)確定していきます。将来こういうことがやってみたい、こういう風な自分になっていたいという願望が、まだ訪れていない未来の世界に対する思いであるうちは実現する期待を持つことができますが、すでに過去になってしまった後には、結果思い通りになったのか完全に確定します。

願いをかなえたければ挑戦するしかない

結局、自分がこういうことをやってみたいと思っているのならできる限り速いタイミングでチャレンジする準備を進める必要があります。いつでもできるからと放っておく事でいつの間にか忘れてしまい、気がついたらチャレンジできる年齢を過ぎてしまっていたということは意外とよくあることだと思います。

そもそも、そんな願いを持っていたことすら忘れてしまい、死ぬまで思い出すことが無いということもあるかもしれません。

やった結果後悔する可能性もある

基本的には、やらないで後悔するよりもやって後悔するほうがいいとおもっていますが、高い確率で命を落としたり、警察に捕まったりするようなことは仮にやりたいと思ったとしてもやらないほうがいいと思います。

通常の、失敗したからと言って死んだり人生の大半を刑務所で過ごしたりするわけではないチャレンジについては、やって失敗したほうが、やらないで悶々とした気持ちを抱えるよりいいはずです。

やって失敗すれば、現実を知ることができますが、やらないでいると完璧に理想どおりの結果になった自分を想像し、それをやらなかった後悔の念が高まります。実際には、完璧に理想どおりなんてあるわけなく、やってみれば上手くいかないことのほうが多いです。それを知るというのも人生の重要な時間の使い方だと思います。

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