アイデアの源泉。日記や夢日記をつけることについて

高校生の頃の日記・夢日記

成人するまでの実家に置いてあったものはあらかた無くなっていますが、整理するにあたり、何かを手書きで書いたものについてはなかなか捨てられず、今も手元にあります。

これは、人がくれた手紙のような物についても当てはまり、ほとんど見直すことはないと思いますし、一旦打ち込んだりスキャンしたりしてデータ化してしまえば物自体は捨ててもいいような気がしますが、物自体に思い入れを感じてなかなか捨てられません。

今ではこうしてブログの形で多くの人が日記を残して公開しています。私も日々の日記をブログのようなところに書いていた時期がありました。

それが高校時代にはまだパソコンが一般的なものではなく、日記はノートに書いていました。今手元にあるノートでは、高校2年生の3月7日から、かなり飛び飛びですが、一浪しているので浪人生の11月26日までの約2年半の間の日記が書いてあります。また、それ以前に夢日記という夢で見たことを日記として記録していましたが、それは高校2年生の1月12日から、日記よりもさらに飛び飛びに浪人生の5月21日まで書いてあります。

日記・夢日記を読み返してみる

この当時の私は、当然今の私から見ればまだまだ子供で、社会というのがどういうものなのかも今以上にわかっておらず、誰も見ない日記なので赤裸々に恥ずかしいことも書いてあります。

ただ、私の考え方の原点であったり、文章上のクセのようなものはこの頃から変わっていないことがよくわかります。当時は、大学受験に対する不安が大きく、仮に大学生になったとしてもその先の未来には希望よりも不安を感じているようでした。日記を書いている時点が幸福のピークであり、そこからは下るしかないと考えている節もありました。

今、そんなことをすっかり忘れて読み返してみると、当時の私はそれこそ死ぬまで彼女もできず、社会の中で磨り減って老いて死ぬだけみたいな漠然とした不安を抱えていたようです。自分のことながら「そんなに心配しなくても何とかなるよ」と言ってあげたくなります。

夢日記に関しては、夢なので支離滅裂です。支離滅裂ですが、なんとなくファンタジックな物語のようで次から次へと唐突に場面が変わり、登場人物のセリフも意味がわかるようでわからず、不思議な気分になります。

日記・夢日記はアイデアの源泉になるか

日記・夢日記は自分の過去の気持ちを思い出させ、当時考えていたこと、それぐらいの年代の人間が考えがちなことについて色々なヒントをくれると思います。

今の自分と若い時の自分は時系列でつながっていますが、やはり少しづつ経験を通して変わってきています。どこが変わって、どこは変わっていないかを確認するうえでは役に立つと思います。

ただ、アイデアの源泉というとやはりアイデアノートのようなものの方がいいように思います。日記・夢日記は別にアイデアを意識して残していたわけではないため、そこからヒントを得るには一工夫必要になります。

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