コンピューターと会話する手段。プログラムの力

プログラムを初めて知ったのは新卒採用時

私がプログラムを始めて知ったのは、新卒で就職したコンサルティングの会社でした。私が新卒採用された頃は、ERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)と呼ばれる、業務処理用の大規模システムが世界的に導入されようとしていた時期で、日本でもコンサルティングといえばシステム導入に関連する契約がかなりの割合を占めていました。

しかも、こういった大規模システム導入のプロジェクトは大勢のコンサルタントを必要とするため、入社したばかりのコンサルタントは皆素養としてプログラムの知識を学ぶように研修が行われていました。

当時、研修といっても自分の席に数冊の市販のプログラムの本が置いてあり、「こういうプログラムを作ってください」という課題を与えられ、本を調べながらどういう意味かよくわからないままコマンドプロンプト上でプログラムを書くという作業を行っていました。この、試行錯誤を繰り返し答えにたどり着くというのは、プログラミングとは別の意味でコンサルタントに必要な訓練だったのではないかと今になって思います。

プログラムはコンピューターに指示を伝えるための言葉

わけもわからず試行錯誤を繰り返し、何とか課題をクリアしていたプログラムの研修でしたが、国内で1ヶ月ほど、海外で3ヶ月ほど研修を受けているうちにだんだんとプログラムが何なのかわかってきました。

プログラムは、人間の言葉に近い形に加工された、コンピューターに指示を与えるための文字列です。この文字列は厳密なルールがあり、誤字脱字は決して許されません。たった一つの誤字脱字があってもプログラムは一切動いてくれません。

これは、コンピューターの融通の利かなさを示すと同時に、動かなければ必ず自分が何かを間違えているということを示しています。また、こちらが正しくやってほしいことを伝えたと思っていても、とんちんかんな処理がされることもありますが、これも、自分が指示の与え方を間違えたせいです。

プログラムを理解すると人への指示出しについても考えさせられる

相手が人間であれば、相手のほうでもこちらの意図を慮って、こちらが間違えたことを言っていても向こうで修正して理解してくれたりします。

一方で、ちゃんと指示を出したはずなのにとんちんかんな事をする人もいます。このとき、「この人はちゃんと指示を出しても、わけがわからないことをする使えない人」という印象を抱く前に、プログラムで失敗した時のように「指示の出し方がおかしいのかもしれない」と思いなおすことができます。

前提の情報が足りなかったり、こちらが理解している言葉を相手が理解していないがために指示の意図がわからなかったり、そういった可能性をまずは疑うようになります。プログラムで失敗する場合、必ず自分が何か間違えているためです。

プログラミングができることによって、自分が正しい指示を出してあげれば、素直に休むことなく指示に従ってくれるコンピューターという非常に頼もしいパートナーを味方にすることができます。

 

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