戦争が描かれる時によくある設定「北の帝国」
今日も適当に無料で公開されている漫画を物色していたところ、剣と魔法の世界の将軍が主人公の漫画を見つけました。そういう設定は大好きなので読んでみると、北の帝国に対抗する南の小国の話。
ファンタジーや戦争ものでよく現れる北の帝国。別に西の帝国でも東の共和国でもいい気がしますが、北の帝国の悪役感はなかなか出ません。
公認会計士が物語について考えるブログ
今日も適当に無料で公開されている漫画を物色していたところ、剣と魔法の世界の将軍が主人公の漫画を見つけました。そういう設定は大好きなので読んでみると、北の帝国に対抗する南の小国の話。
ファンタジーや戦争ものでよく現れる北の帝国。別に西の帝国でも東の共和国でもいい気がしますが、北の帝国の悪役感はなかなか出ません。
小説家になろう – みんなのための小説投稿サイトで上位のほとんどを占めている完全異世界(ハイファンタジー)もののファンタジー小説。この小説の中ではゲームのような設定が良く使われます。
代表的なものはレベルですが、能力値とか武器や防具の攻撃力・防御力、経験値など、これらは「どれぐらい強いのか」「どちらが強いのか」といった時に非常にわかりやすくなります。ハイファンタジー≒ゲームの世界なので、このような数値化設定にあまり違和感がありません。
これが私小説で数値化されても違和感があります。
「次の日健三はまた同じ時刻に同じ所を通った。その次の日も通った。『経験値200ポイント獲得』と目の前に表示された」
夏目漱石先生の道草の一文をお借りしましたが、特に経験値いりませんね。
ハイファンタジーラノベ以外での小説での数値化に非常にインパクトがあったのはバトルロワイヤルです。バトルロワイヤルも面白くて一気に読んでしまった小説ですが、残りの生徒数が物語が進むにつれてどんどん減っていき、それが文章の中ではなく別枠で記載されていたのが印象的でした。
このように、全体の人数から人が次々に死んでいくみたいな設定のストーリーで「残り○○人」という数値を見せるのは効果的です。人数が少なくなってくると読者が残っている人間を想像し「あれ?あと1人誰だっけ?」みたいな楽しみ方もできます。
1989年に出版された「フォーチュン・クエスト」が振り返るとゲームのような設定を取り入れた始めてのハイファンタジーラノベだったと思います。当時はラノベという概念はなかったと思いますが、そんな昔からあるラノベは他に思いつきません。
当時ファンタジー物をよく読んでいて、その中の一つでしたが、冒険者レベルのようなものが普通に物語に出てきて、ゲームのような数値化が設定されていました。
久々に思い出して調べてみましたが、いまだにシリーズとして続いてるんですね!驚きました。第一巻から30年近く経っています。
昔から神話が好きで、子供の頃はいろいろな神話や星座にまつわる本を読んでいました。
神話はファンタジーの原点だと思います。中でも北欧神話は神々が決して完璧な存在ではない点が非常に魅力的で、ワルキューレが天界に亡くなった勇敢な戦士を連れて行き、最終戦争に備えるという設定もゲームっぽくて楽しいです。
実際、北欧神話を題材にしたゲームは、ヴァルキリープロファイルシリーズや女神転生の仲魔など、いろいろなところに見受けられます。名前だけ借りてきているものについてはさらにたくさんあると思います。
神話は大抵の場合世界の誕生から始まりますが、北欧神話では原初の巨人が誕生し、巨人の死をきっかけに世界が生まれています。巨人の死をベースにしている神話は北欧神話に限りませんが、この考え方は、地球が一つの生命体であるという直感が古代の人々の間にはあったのではないかと思います。
今でもガイア理論というものがありますが、今よりもはるかに自然と密接に生活し、獣を狩り、木の実や果物を採取して生きていた古代の人々は、自然に生かされているというのをダイレクトに感じていたのだと思います。
神話の世界に触れて感じるのは、はるか昔の物語というのは、つじつまが合っていないということです。北欧神話の世界では原初の巨人と言いつつ原初の巨人の前から炎の巨人がいたりします。
しかし、いまなお多くの北欧神話のファンがいるというのは、やはり物語というのは細かい設定に矛盾がなければそれはそれでいいとは思いますが、圧倒的に物語の骨子となるアイデアが優先されると言うことなのだと思います。
もう一つ、この北欧神話が魅力的な要因としては、最初に書いたように神々が不完全な点だと思います。そもそも、完璧な神々であったら物語が成立しないというのもありますが、神々が戦い、協力し、裏切り、だまされるといったドラマがあるため、神といいながら感情移入できる対象となります。さながら、特殊能力を持った今時の漫画のキャラクターのような存在です。実際、北欧神話を題材にしたアメコミもあり、最近マイティ・ソーとして映画も公開されていました。
このような神話に出てくる不完全な神々というのは、神話が最初に作られた時代のちょっと前の実在の人物がモデルになっていたりするのではないかと思います。
たまに徹夜してでも読みたくなる面白い本というのに出会うことがありますが、バトルロワイヤルもその一つです。記憶が確かならリアル鬼ごっこと同時期に売れた本だった気がしますが、バトルロワイヤルによって同じグループのメンバーが互いに殺しあう系の話が流行ったような気がします。
バトルロワイヤルが普通の人間同士の殺し合いであるのに対して、ゾンビや吸血鬼、怪物といった人外を相手に戦うパニックホラーはいまなお様々な作品が生まれています。
最近小説を読んでいないので、小説でそういうものがあるのかはわかりませんが、漫画だとアイアムアヒーロー、彼岸島、インフェクション、パニックホラーという感じはしませんがテラフォーマーズも人外の怪物に人が殺されるという点では共通点があります。
テラフォーマーズがパニックホラーにならないのは、主人公側にも特殊能力が備わっており、対等に戦っているためどちらかというとワンピースやドラゴンボールのような印象の方が強くなっているからだと思います。
パニックホラーの要素として、主人公側は普通の人であり、普通の人と自分を重ね合わせることでより恐怖を掻き立てられるのではないでしょうか。
この、自分は絶対に安全なところから怖いものを見るということに人は快さを感じるようです。お化け屋敷なんかも同じ原理かと思います。怖いけど別に殺されたり痛い思いをするようなことはありません。
怖いと面白いが繋がっているのは興味深いですが、怖いだけではだめで、怖い思いをした後、自分はその怖い状況にはないことを確認することによって、マイナスからゼロへの上昇が生まれ心地よい気分になるのではないでしょうか。
そう考えると、気分の相対的な上昇を生み出すことができれば人は心地よいと感じるのだと思います。そして、その相対的な上昇幅が大きければ大きいほど心地よい。
パニックホラーは、読者や視聴者の気持ちを恐怖で一旦下に大きく落とし、そこから脱出するなり突破口を見出すなりして解決していく過程で気持ちが上昇し、心地よい気持ちにさせているのだと思います。
家にある本を見ていたら、昔買った「アイデアの作り方」と言う本を見つけました。小さくて薄っぺらい本ですが、アイデアについての本としてはかなり有名なもののようです。本来は広告のアイデアを出すための本のようですが、アイデアの発想全般に共通して言えることが書いてあります。
この本ではアイデアの発想法とも言うべき5つのステップが紹介されています。
まず、最初のステップは資料の収集。収集する資料には、そのテーマについての資料である特殊資料といわゆる雑学のようなテーマとは関係ない一般資料とがあり、その組み合わせから新しいアイデアが生まれるとのことです。
資料の収集とは資料を頭に入れるところまでです。本を買ったり、ネットで検索したファイルを保存したりすることを収集と考えがちですが、集めた内容を頭に入れておかなければ次のステップに進めません。
2番目のステップは集めた資料を読み込んだ結果浮かんでくるアイデアをどんなものであれ書きとめるステップです。とにかくインプットした情報をひたすらアウトプットする作業です。ただ、この段階ではアイデアは支離滅裂だったり不完全だったり、たいしたことなかったりといったもののようです。このとき、心理的にもかなり追い詰められたような、絶望的な気分になることも多々あるようです。
3番目のステップはこのテーマについて全て忘れて別のことを考えるステップです。これはおそらく情報を無意識の力を使って整理して組み合わせるような過程だと思います。
4番目のステップでは、3番目のステップの最中に無意識に醸成されたアイデアのもとが意識下に顕在化するステップです。それはふとした何気ない瞬間に起こるようです。寝る直前とか、歯を磨いているときとか。
3番目と4番目はステップとしては存在していますが、ひたすら待っているだけなので、何かやらないといけないわけではないようです。
そして5番目、最後のステップではその生まれたばかりのアイデアを現実に適応させるために様々な手を加えていくステップです。
確かに「これはいいアイデアだ!」と思ったとしても、いざ現実に実行しようとすると様々な障害があり、思ったほどではなかったと言うのはよくある話です。が、筆者はそこであきらめるなと言っています。理解ある人々に批判してもらえと。そのアイデアが本当にいいアイデアであれば人々の興味を惹き、手を貸してくれた結果アイデア自体が成長を始めるとのことです。
こうしてみると、5つのステップと言いつつ3と4はほとんど何もしていないため、資料を集めてひたすら頭を悩ませたらあとはいいアイデアが浮かぶのを待って浮かんだらがんばって現実に使える形にするということのようです。
アイデアは既存の情報の組み合わせとか、無意識の力で願いをかなえる(願い:いいアイデアを思いつく)とか、今まで触れてきた話にも共通することが多々ある気がしました。
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もともと、小説と言うのは実話と勘違いさせるような演出をすることによってリアリティを出していたそうです。
例えば老人が昔話を始める所から始まるなど、最初に現在の表現があり、過去に実際に起こったかのように物語が始まり、最後に現在に戻って終わるような表現です。
最近LINEマンガというアプリを知ったんですが、これすごいですね。無料キャンペーンで人気マンガが何巻か読めます。
続きをどうしても読みたいという気分にさせて買ってもらおうというマーケティングの手法だと思いますが、それにしてもかなりのボリュームが無料です。
今回は黒子のバスケが4巻まで無料で読めました。スポーツ物のマンガというのは強化→対戦→強化→対戦のようなステップがあり、常に強い相手と戦い勝つ(たまに負けてより成長する)という共通の流れがあります。スポーツ物に限らず戦いが中心のマンガは全部そんな感じですね。
黒子のバスケはマンガの内容というよりファンの事件があったことでかなり記憶に残っていたんですが、「主人公の影が薄い」というギャップを利用したアイデアがかなり特徴的だと思いました。
主人公はその役割上どうしても目立つ必要があります。このマンガは、その目立つ役割を準主役のキャラに代わりにやってもらい、「主人公に必要なのは目立つかどうかではなく個性的かどうか」と視点を変えることにより、影が薄いという通常の主人公にはない個性を利用して障害を乗り越えています。
また、キセキの世代という5人のグループが敵として現れており、それぞれに色にまつわる名前が付いています。4巻だと、その2人目との対戦が終わる直前まででしたが、今後も3人目、4人目と現れて、途中普通の高校もはさみながら対戦が続くと思われます。
こんな感じで今後の展開はなんとなく読めますが、どんな特徴の敵が現れるのか(1人目は相手の技をコピーできる、2人目は超長距離シュートを打てるという特徴がありました)、主役と準主役の二人はどんな風に成長し、どんな技を見に付けていくのか、他のチームメンバーは?など妄想が掻き立てられる要素があるため続きが読みたくなります。
それにしても、こんなに無料・低価格で色々読めてしまうと、出版業界にますますお金が流れていかなくなるのではないかと心配になります。
かつて、ソフトバンクの孫正義さんは二つの単語をランダムに組み合わせてアイデア出しをしていたそうです。自分の中にはない発想を導き出すためには、そういったランダム要素というのは大事だと思います。
というわけで、二つの単語をランダムに組み合わせるツールみたいなものはないかなと思って探してみたら、ひらめきヒーロー!というサイトを見つけました。適当にファンタジーっぽい単語を50個登録してやってみました。 “二つの単語をランダムに組み合わせる。ひらめきヒーロー!でアイデアを考える。” の続きを読む
全く白紙の状態より、何か制約があったほうが逆に思いつくというのはよくある話で、「何か面白い話して」と急に言われても困るのに対して、「一番最近見た面白い映画(小説・漫画)の話をして」と言われれば、まだ話しやすいと思います。この時、面白い話の種類が限定されたことで、話せる可能性がある面白い話の数は減ったはずなのに思いつきやすくなります。
小説のアイデアについて、ただ漠然と何かないかなと考えるというのも悪くはないと思いますが、初めにその世界を絵にしてみて、その世界で起こることを想像してみるというのも一つの方法だと思います。
エリヤフ・ゴールドラットさんが書いた「ザ・ゴール」というビジネス小説があります。発刊当時はかなり話題になりました。
私は、この小説を読んで目から鱗が落ちました。衝撃でした。ザ・ゴールには続編があり、登場人物が全く変わるシリーズがいくつかありますが、全て購入して読んでいます。
どれも惹き込まれる面白さがありますが、ザ・ゴールシリーズはそもそも面白い小説として売ろうという意図とはまた別の意図があります。
制約理論という「すべてのシステム(何かを行うときにやる一連の作業の集まり)には制約が存在し、制約がそのシステムのパフォーマンスを決定している」という前提に基づいた経営管理の手法を、読んでいる人に理解させようという意図です。
似たような小説として、ちょっと前に流行った「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(通称もしドラ)という本もありましたが、これも面白い小説として売るというのとはまた別の意図として、ドラッカーのマネジメントを、もしドラを読んでいる人に理解させようという意図があります。
このような小説は一般的な小説とは違う気がしますが、個人的にはむしろこのような小説が増えていくのは好ましいことなんじゃないかと思っています。まんがでわかるシリーズのような、説明のほうが比重が大きいものよりも、小説として面白く、かつ結果的に概要がわかるようなものが理想です。
ザ・ゴールに心酔した私は、あらゆる制約理論の本を見つけては買って読んでみましたが、小説形式のザ・ゴールに勝る本はありませんでした。もしドラは読みませんでしたが、この本がきっかけで改めて流行りだしたドラッカーのマネジメントは読んでみました。
ザ・ゴールもやはりギャップの面白さで、制約理論の世界では、例えば工場で物を作るときに、全ての機械が100%フル稼働していて、作業員も休みなく働いているとすると、その工場は非常に効率が悪いということになります。
常識ではそういう工場こそ理想だし、どの経営者も社員を遊ばせずにフル稼働している状態を目指してがんばっていると思いますが、実はそれは非常に危険だというのがこの話の面白いところです。その理由についても非常に説得力があり、私はハマりましたが、そこまで共感している同僚はおらず、改めて常識と真逆の考え方を受け入れるというのは非常に難しいことなんだと痛感した覚えがあります。
一方で、小説だとこのような常識はずれの話は物語として受け入れられやすく、その意味でも小説形式をとることで違和感なく読者が読めるのだと思います。
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