オムニバス形式の漫画
オムニバス形式とは一回一回で物語のオチがつき、次の回には全く違う物語が始まる形式です。
“オムニバス形式の漫画と短編小説。こち亀はオムニバス形式” の続きを読む公認会計士が物語について考えるブログ
小学生の頃はよくシャーロックホームズシリーズを読んでいました。小学生なので犯行のトリックについて全く予想できず、ホームズの手法にいつも感心して読んでいました。今となってはある程度小説にちりばめられたヒントを元に答えを想像することぐらいはできるようになりましたが、今でもミステリー小説(推理小説)のトリックを思いつく人はすごいと思います。
物語としてのミステリーというのは通常、初めのうちは誰が犯人か明らかにされません。探偵や刑事と同じ視点で手がかりが徐々に明らかになっていき、最終的に真犯人を見つけ出すというのがセオリーです。
ところが、あえて犯人の視点で物語を作るというのが倒叙という物語の構成方法です。有名なミステリーとしては古畑任三郎ですね。最初に犯人が完全犯罪(に見える犯罪)を犯し、その後古畑任三郎が登場。犯人を追い詰めていくわけですが、視聴者は犯人を知っているため、犯人と古畑とのやり取りを見守ることになります。
通常、犯人がわかっていて、しかも最終的に捕まるところまで確実な物語なんて、種明かしした手品みたいなもので面白いんだろうかと思いますが、古畑任三郎はかなり人気があるドラマだったと記憶しています。
ミステリーの面白いところは、「犯人を当てるところ」というのが、倒叙という構成方法出現前の常識だったわけですが、ミステリーの面白いところは犯人を当てるところではなく、「犯人が手掛かりを元に追い詰められていく過程」だと再定義したのが倒叙なのだと思います。
この倒叙という方法はミステリー以外の物語にも応用できると思います。「結果がわかってしまうと面白くない」と思い込んでいるような設定に対して、あえて結果を先に見せてしまい、なぜその結果に至るのかという過程を物語にするという構成方法です。
先日読んだHUNTER×HUNTER3巻の最後でも、ゴンがハンター最終試験で合格した直後に気絶してしまい、起きたら最終試験全体が終わってしまっており、結果が先に明らかにされ、その結果にいたるまでの物語が始まるところでした。
「どういう結果になるんだろう?」ではなく「どうしてそんな結果になってしまったんだ?」という面白さは確かにあって、よく考えると日常でも驚くような話というのは「こんなことがあってさ」と、結果から先に聞いて「なんでそんなことに!?」と聞きたくなってしまうのが普通の流れだと思います。
ランダムに主題やキャラクター設定をしてくれるサイトを発見しました。タロットプロットというサイトです。
タロットカード占いができるサイトは見たことがありますが、タロット占いの変わりに世界観やキャラ設定をランダムに決めてくれるというサイトです。
このアイデアは面白いと思いました。私は占いも好きなので、タロットカードやある程度占いの本ももっていますが、自分を占う代わりに架空の主人公の性格や未来を占うことでそういうキャラクターの主人公だという設定にしてしまえばランダムに設定するのに使えます。
Lineマンガのキャンペーンで伝説のマンガ(?)HUNTER×HUNTERが無料になっていたので読んでいます。3巻まで読みましたが、さすが面白いです。
ハンターになることを目標に競争相手と戦ったり協力したりしながら試練をクリアしていくと言うストーリーですが、各キャラクターの個性がわかりやすく表現されていて、試練も先が読めません。
このHUNTER×HUNTERがこの先どんな展開になるのか初めて読むので全くわかりませんが、とりあえずハンターになるまでで一区切りになることはわかります。そしてハンターになったらハンターとしての冒険が始まるんだと思います。
主人公の最終的な目標は父親に会うことのようですが、父親に出会ったあと、続きがあったとしても特に違和感はありません。
一方で、ハンターになったことでこの漫画が最終回を迎え「俺たちの冒険はこれからだ!」と終わってしまってもまあおかしくはないと思います。読んでる人は「打ち切りかな」と思うでしょうが。
漫画のストーリー構成は、こんな感じでところどころ大きな区切りがありつつ、どこでやめてもそんなに違和感がないものが多いと思います。
これは、週刊漫画や月刊漫画のように定期的に話を続ける必要があり、かつ人気がなかったらすぐにやめられるようにするためだと思います。
最終的にそのオチが見えたら話が終わってしまうような漫画であったとしても、人気がでるとオチまでの間のストーリーが増えていき、オチが遠のいていく感じになります。ワンピースはルフィが海賊王になったら終わりですが、もし人気がなかったらもう海賊王になっていると思います。
一方で小説は基本的に1冊でスタートからオチまでもっていく必要があります。銀河英雄伝説や坂の上の雲のような長編小説にしても、書き始めからオチまでのストーリーの分量は漫画と異なり最初にある程度決まっていると思います。
その意味で、小説のほうが映画により近く、いわゆる三幕構成(序破急)の展開がハマるものが多いのではないでしょうか。
また仮に、その1冊で人気がでて続編が出るにしても、1冊目の直後の場面から始まるのではなく、まったく別の場面から始まることがほとんどです。
もちろん小説のような漫画、漫画のような小説はあると思いますが、典型的な例でいくと、小説は一冊一冊をまったく別のレースとして走る短距離走であるのに対し、漫画は一旦走り出すとゴールまで連続した長距離走であると言えます。
面白い漫画のアイデアを小説に流用することは可能でしょうが、面白い理由が構成にある場合は小説に流用するのは難しいかもしれません。
三幕構成について一通り触れてきましたが、今まで触れてきていなかった話にサブプロットというのがあります。
メインプロットとされる話と平行して進むストーリーラインのことで、サブプロットも三幕構成で作られるようです。
映画ではないですが、私が秀逸なサブプロットが含まれていると思う作品は銀河英雄伝説です。銀河英雄伝説は、メインプロットがラインハルトの物語ですが、ほとんどメインプロットと見紛うほどの重さとボリュームを持つサブプロットとしてヤン・ウェンリーの物語があります。
そしてこのサブプロットはメインプロットに多大な影響を与え、渾然一体となって物語を作り上げています。「銀河英雄伝説」というタイトルなんだから、ヤン・ウェンリーの物語もメインプロットでダブルメインプロットの小説なんじゃないかという話もありますし、この構成の考え方は必ずこれというものがあるわけでもないので、作者の田中芳樹先生はダブルメインプロットのように考えているかもしれません。
ただ、メインはあくまで一つと考えたときに、どちらがメインかといえば間違いなくラインハルトの方になります。なぜならヤン・ウェンリーは物語の途中から登場します。サブプロットはメインプロットと勘違いされないように、メインプロットが始まってからしばらくして始まるというのがセオリーです。また、ネタバレですが、ヤン・ウェンリーは善戦むなしく途中で殺されてしまいます。
私はラインハルトよりヤン・ウェンリーのほうが好きですが、こんな風に、この話を読んだ人の間で人気を二分するほどの存在感を放ち、腐敗した民主制の中で、数々の制約を受けつつ最善を尽くす名将が圧倒的な才能を遺憾なく発揮できる独裁君主のラインハルトを押さえ込もうとするという構図は物語を非常に面白くしています。
結局、ヤン・ウェンリーは最後までラインハルトに正面から敗北することはなく、ラインハルトをあと一歩のところまで追い詰めたあと、暗殺のような形で殺されました。敵役でありながら、主人公よりも主人公らしい逆境にさらされ最後に死んでしまうのは、この物語が今でも漫画化やゲーム化される一つの要因となっているのではないでしょうか。
いい小説の条件は、いいトリック(アイデア)・ロジック(構成)・レトリック(表現力)が重要という話がわかってきました。
ちょっと調べればわかる話だったのですが、あまりちゃんとこういったことについて調べたことがなかったので結構新鮮です(←やる気あるのか)。
個人的には、アイデアさえ面白ければ多少構成がめちゃくちゃでも、表現力がつたなくてもカバーできると思います。他方アイデアがダメだと、構成や表現力ではいかんともしがたい気がしています。また、構成で表現力はカバーできても、表現力で構成をカバーするは難しいとも思います。
それはともかく、物語を表現する方法には色々ありますが、この物語は小説じゃないととか、この物語は漫画じゃないととか、そういうものなのか、それとも面白い物語は媒体を問わないのかちょっと考えてみました。
というのも、三幕構成は映画の脚本の話しだし、これからも小説以外の物語を題材にした記事を書いていきたいと思っています。でもそもそも小説の参考にならないのであれば小説以外の物語の話はあまり意味がありません。
私の中での結論としては、物語の要素をアイデア・構成・表現力で分けた場合、アイデアは媒体を問わない一方で、構成は媒体によって変わるというものです。
残りの表現力の部分は表現の方法が変われば当然大きく変わります。ここは小説の文章の書き方というテーマで記事を書いてみたいと思っていますが、当然漫画や映画なんかから引用はできません。
よく小説や漫画を映像化(映画化・ドラマ化・アニメ化)したり、ゲームを漫画化したりと表現の方法を変えて同じ物語が横展開するケースがあります。これは、面白い物語が表現の方法を問わない証明になるような気がしますが、よく見ると話の構成が変わっていたり、オリジナルストーリーが入っていたりします。
これは、アイデアは横展開が可能であるものの、媒体によって構成を変えないと上手く表現できない証明ともいえると思います。
当然、三幕目はエンディングへ向けてのさまざまな問題の解決になります。
第三幕は他の幕に比べかなり短いようです。短いのが当然というわけではなく、1990年代後半以降短くなったようで、過去にさかのぼればやたら第三幕が長い映画もあるのかもしれません。
ステップとしては、クライマックス→レゾリューション→エンディングとなるようです。
前回の記事に引き続き、三幕構成の第二幕の詳細についてみていきたいと思います。
物語の本編とも言える第二幕は、第一幕の最後、ファーストターニングポイントで明確になった問題を解決しようとするところから、すべての解決に向かって一気に進む直前までが描かれます。 “第二幕はConfrontation(対立、衝突)アナと雪の女王に見る三幕構成3(ネタバレ注意)” の続きを読む
引き続き三幕構成について踏み込んで行きたいと思います。
まずは第一幕の中身について。第一幕は最初のシーンから、氷の魔法が皆にバレて城を飛び出してしまったエルサ(雪の女王)をアナが追いかけるところまででしたね。
第一幕は以下の構成で作られるようです。 “第一幕はSetup(設定)?アナと雪の女王に見る三幕構成2【ネタバレ注意】” の続きを読む
小説の構成についての基本型みたいなものを調べてみましたが、すぐにわかるものはありませんでした。
何かいい書籍などがあるかもしれませんが、読んで記事にまとめるには時間がかかるので、まずは困ったときのWikipedia先生が教えてくれる三幕構成の詳細に迫りたいと思います。