文章の構成は起承転結じゃない?序破急、三幕構成について

小学生の頃、文章の構成は起承転結と習いました(今は違うのかな?)

そこで今日は文章構成の基本中の基本、起承転結についてドヤ顔でまとめようとWikipedia先生に聞いてみたら、起承転結はダメ的なことが書いてあってびっくり。

知らなかった。小説家になりたい人がそんなレベルで大丈夫か?と言う話ですが、以外と起承転結と思い込んでいる人は多いのではないでしょうか。

小説ではないですが、アメリカのドラマとかを見ていても、どこが起で、どこが承で、どこが転で、どこが結なのかよくわかりません(こじつけようと思えばできるのかもしれませんが)。でも続きが気になりすぎてすぐにレンタルDVD屋さんに駆け込んでしまうほど面白いです。

世界的な物語の構成の共通認識としては三幕構成というものがあるそうです。序破急は雅楽からきているそうですが、やはり構成を3つとしている点が共通しています。どちらかと言うと起承転結より序破急のほうが物語としての収まりがいいようです。

「構成なんて面白ければどうでもいいでしょ」とか「面白い物語作れないやつに限って構成みたいなマニュアル的なものにこだわるんだよな」とかネガティブな意見もあると思いますが、私は、とりあえず型を理解することは大事だと思っています。

まずは型通りできるようになる、次に型から少し逸脱してオリジナリティを出す、そしてゆくゆくは型に囚われないオリジナルの世界を創るという段階を踏む必要があると思っています。

いわゆる守破離です(これも3つですね)。

一時期、絵画展をよく見に行っていた時期があって、ゴッホとかピカソとかダリとかシャガールとか、有名な画家に共通している点を発見したんです。

絵を描き始めた初期の頃はみんな普通の絵が普通に上手い。ゴッホもピカソもダリもシャガールも、最終的にはその人の絵だ!ってわかる独特のタッチの絵を描いています。でも最初はみんな誰が書いたのかわからないような普通の絵が普通に上手。大体、絵画展って時系列に絵が並んでいて、だんだん独自の絵になっていきます。

私はその絵を見ていて、「ああ、この人はこの辺りで『絵っていうのはつまりはこういうことだ!』みたいなものを悟ったんだろうな、そして『だったらこの部分はどうでもいい、この部分は絶対外せない』みたいなことが自分の中で見えてきて、『自分にとっての絵はこれ!』みたいになっていったんじゃないかな」という思いを感じていました。

こういった芸術や技術に関係するものは、すべからくこの過程を踏んでいかないといけないと思います。型通りにできるからこそ元の型との差がわかり、それがいい差なのか悪い差なのかがわかり、最後は方を離れて完全オリジナルにいたることができるのだと思います。