小説の最初の三行を読んでみる
一度同じ内容でやりましたが、小説の最初の三行を読むと言うのはすぐできるし、レトリックの勉強にもなるのでこれからもシリーズ化していきたいと思います。
今回も家にあった小説を2冊引っ張り出して、最初の3行を読んでみました。

公認会計士が物語について考えるブログ
一度同じ内容でやりましたが、小説の最初の三行を読むと言うのはすぐできるし、レトリックの勉強にもなるのでこれからもシリーズ化していきたいと思います。
今回も家にあった小説を2冊引っ張り出して、最初の3行を読んでみました。
剣と魔法の世界、宇宙戦争、戦国時代(ヨーロッパの中世や古代中国含む)等々、あまたの困難が待ち受けていそうな世界設定は色々とありますが、大航海時代も私の好きな世界設定の一つです。
大航海時代。それまで誰も知らなかったアメリカ大陸が発見され、世界は丸いと言うことが実証されようとしていた時代。公開技術が発達し、ヨーロッパの人々が大海原に乗り出し世界を席巻した時代です。
大航海時代が魅力的なのは、いくつかの好奇心をくすぐる要素があるためです。 “大航海時代を面白くする3つの要素。未知の世界への憧れと、困難を乗り越える物語。” の続きを読む
小学生の頃はよくシャーロックホームズシリーズを読んでいました。小学生なので犯行のトリックについて全く予想できず、ホームズの手法にいつも感心して読んでいました。今となってはある程度小説にちりばめられたヒントを元に答えを想像することぐらいはできるようになりましたが、今でもミステリー小説(推理小説)のトリックを思いつく人はすごいと思います。
物語としてのミステリーというのは通常、初めのうちは誰が犯人か明らかにされません。探偵や刑事と同じ視点で手がかりが徐々に明らかになっていき、最終的に真犯人を見つけ出すというのがセオリーです。
ところが、あえて犯人の視点で物語を作るというのが倒叙という物語の構成方法です。有名なミステリーとしては古畑任三郎ですね。最初に犯人が完全犯罪(に見える犯罪)を犯し、その後古畑任三郎が登場。犯人を追い詰めていくわけですが、視聴者は犯人を知っているため、犯人と古畑とのやり取りを見守ることになります。
通常、犯人がわかっていて、しかも最終的に捕まるところまで確実な物語なんて、種明かしした手品みたいなもので面白いんだろうかと思いますが、古畑任三郎はかなり人気があるドラマだったと記憶しています。
ミステリーの面白いところは、「犯人を当てるところ」というのが、倒叙という構成方法出現前の常識だったわけですが、ミステリーの面白いところは犯人を当てるところではなく、「犯人が手掛かりを元に追い詰められていく過程」だと再定義したのが倒叙なのだと思います。
この倒叙という方法はミステリー以外の物語にも応用できると思います。「結果がわかってしまうと面白くない」と思い込んでいるような設定に対して、あえて結果を先に見せてしまい、なぜその結果に至るのかという過程を物語にするという構成方法です。
先日読んだHUNTER×HUNTER3巻の最後でも、ゴンがハンター最終試験で合格した直後に気絶してしまい、起きたら最終試験全体が終わってしまっており、結果が先に明らかにされ、その結果にいたるまでの物語が始まるところでした。
「どういう結果になるんだろう?」ではなく「どうしてそんな結果になってしまったんだ?」という面白さは確かにあって、よく考えると日常でも驚くような話というのは「こんなことがあってさ」と、結果から先に聞いて「なんでそんなことに!?」と聞きたくなってしまうのが普通の流れだと思います。
ランダムに主題やキャラクター設定をしてくれるサイトを発見しました。タロットプロットというサイトです。
タロットカード占いができるサイトは見たことがありますが、タロット占いの変わりに世界観やキャラ設定をランダムに決めてくれるというサイトです。
このアイデアは面白いと思いました。私は占いも好きなので、タロットカードやある程度占いの本ももっていますが、自分を占う代わりに架空の主人公の性格や未来を占うことでそういうキャラクターの主人公だという設定にしてしまえばランダムに設定するのに使えます。
今日も適当に無料で公開されている漫画を物色していたところ、剣と魔法の世界の将軍が主人公の漫画を見つけました。そういう設定は大好きなので読んでみると、北の帝国に対抗する南の小国の話。
ファンタジーや戦争ものでよく現れる北の帝国。別に西の帝国でも東の共和国でもいい気がしますが、北の帝国の悪役感はなかなか出ません。
小説家になろう – みんなのための小説投稿サイトで上位のほとんどを占めている完全異世界(ハイファンタジー)もののファンタジー小説。この小説の中ではゲームのような設定が良く使われます。
代表的なものはレベルですが、能力値とか武器や防具の攻撃力・防御力、経験値など、これらは「どれぐらい強いのか」「どちらが強いのか」といった時に非常にわかりやすくなります。ハイファンタジー≒ゲームの世界なので、このような数値化設定にあまり違和感がありません。
これが私小説で数値化されても違和感があります。
「次の日健三はまた同じ時刻に同じ所を通った。その次の日も通った。『経験値200ポイント獲得』と目の前に表示された」
夏目漱石先生の道草の一文をお借りしましたが、特に経験値いりませんね。
ハイファンタジーラノベ以外での小説での数値化に非常にインパクトがあったのはバトルロワイヤルです。バトルロワイヤルも面白くて一気に読んでしまった小説ですが、残りの生徒数が物語が進むにつれてどんどん減っていき、それが文章の中ではなく別枠で記載されていたのが印象的でした。
このように、全体の人数から人が次々に死んでいくみたいな設定のストーリーで「残り○○人」という数値を見せるのは効果的です。人数が少なくなってくると読者が残っている人間を想像し「あれ?あと1人誰だっけ?」みたいな楽しみ方もできます。
1989年に出版された「フォーチュン・クエスト」が振り返るとゲームのような設定を取り入れた始めてのハイファンタジーラノベだったと思います。当時はラノベという概念はなかったと思いますが、そんな昔からあるラノベは他に思いつきません。
当時ファンタジー物をよく読んでいて、その中の一つでしたが、冒険者レベルのようなものが普通に物語に出てきて、ゲームのような数値化が設定されていました。
久々に思い出して調べてみましたが、いまだにシリーズとして続いてるんですね!驚きました。第一巻から30年近く経っています。
Lineマンガのキャンペーンで伝説のマンガ(?)HUNTER×HUNTERが無料になっていたので読んでいます。3巻まで読みましたが、さすが面白いです。
ハンターになることを目標に競争相手と戦ったり協力したりしながら試練をクリアしていくと言うストーリーですが、各キャラクターの個性がわかりやすく表現されていて、試練も先が読めません。
このHUNTER×HUNTERがこの先どんな展開になるのか初めて読むので全くわかりませんが、とりあえずハンターになるまでで一区切りになることはわかります。そしてハンターになったらハンターとしての冒険が始まるんだと思います。
主人公の最終的な目標は父親に会うことのようですが、父親に出会ったあと、続きがあったとしても特に違和感はありません。
一方で、ハンターになったことでこの漫画が最終回を迎え「俺たちの冒険はこれからだ!」と終わってしまってもまあおかしくはないと思います。読んでる人は「打ち切りかな」と思うでしょうが。
漫画のストーリー構成は、こんな感じでところどころ大きな区切りがありつつ、どこでやめてもそんなに違和感がないものが多いと思います。
これは、週刊漫画や月刊漫画のように定期的に話を続ける必要があり、かつ人気がなかったらすぐにやめられるようにするためだと思います。
最終的にそのオチが見えたら話が終わってしまうような漫画であったとしても、人気がでるとオチまでの間のストーリーが増えていき、オチが遠のいていく感じになります。ワンピースはルフィが海賊王になったら終わりですが、もし人気がなかったらもう海賊王になっていると思います。
一方で小説は基本的に1冊でスタートからオチまでもっていく必要があります。銀河英雄伝説や坂の上の雲のような長編小説にしても、書き始めからオチまでのストーリーの分量は漫画と異なり最初にある程度決まっていると思います。
その意味で、小説のほうが映画により近く、いわゆる三幕構成(序破急)の展開がハマるものが多いのではないでしょうか。
また仮に、その1冊で人気がでて続編が出るにしても、1冊目の直後の場面から始まるのではなく、まったく別の場面から始まることがほとんどです。
もちろん小説のような漫画、漫画のような小説はあると思いますが、典型的な例でいくと、小説は一冊一冊をまったく別のレースとして走る短距離走であるのに対し、漫画は一旦走り出すとゴールまで連続した長距離走であると言えます。
面白い漫画のアイデアを小説に流用することは可能でしょうが、面白い理由が構成にある場合は小説に流用するのは難しいかもしれません。
昔から神話が好きで、子供の頃はいろいろな神話や星座にまつわる本を読んでいました。
神話はファンタジーの原点だと思います。中でも北欧神話は神々が決して完璧な存在ではない点が非常に魅力的で、ワルキューレが天界に亡くなった勇敢な戦士を連れて行き、最終戦争に備えるという設定もゲームっぽくて楽しいです。
実際、北欧神話を題材にしたゲームは、ヴァルキリープロファイルシリーズや女神転生の仲魔など、いろいろなところに見受けられます。名前だけ借りてきているものについてはさらにたくさんあると思います。
神話は大抵の場合世界の誕生から始まりますが、北欧神話では原初の巨人が誕生し、巨人の死をきっかけに世界が生まれています。巨人の死をベースにしている神話は北欧神話に限りませんが、この考え方は、地球が一つの生命体であるという直感が古代の人々の間にはあったのではないかと思います。
今でもガイア理論というものがありますが、今よりもはるかに自然と密接に生活し、獣を狩り、木の実や果物を採取して生きていた古代の人々は、自然に生かされているというのをダイレクトに感じていたのだと思います。
神話の世界に触れて感じるのは、はるか昔の物語というのは、つじつまが合っていないということです。北欧神話の世界では原初の巨人と言いつつ原初の巨人の前から炎の巨人がいたりします。
しかし、いまなお多くの北欧神話のファンがいるというのは、やはり物語というのは細かい設定に矛盾がなければそれはそれでいいとは思いますが、圧倒的に物語の骨子となるアイデアが優先されると言うことなのだと思います。
もう一つ、この北欧神話が魅力的な要因としては、最初に書いたように神々が不完全な点だと思います。そもそも、完璧な神々であったら物語が成立しないというのもありますが、神々が戦い、協力し、裏切り、だまされるといったドラマがあるため、神といいながら感情移入できる対象となります。さながら、特殊能力を持った今時の漫画のキャラクターのような存在です。実際、北欧神話を題材にしたアメコミもあり、最近マイティ・ソーとして映画も公開されていました。
このような神話に出てくる不完全な神々というのは、神話が最初に作られた時代のちょっと前の実在の人物がモデルになっていたりするのではないかと思います。
たまに徹夜してでも読みたくなる面白い本というのに出会うことがありますが、バトルロワイヤルもその一つです。記憶が確かならリアル鬼ごっこと同時期に売れた本だった気がしますが、バトルロワイヤルによって同じグループのメンバーが互いに殺しあう系の話が流行ったような気がします。
バトルロワイヤルが普通の人間同士の殺し合いであるのに対して、ゾンビや吸血鬼、怪物といった人外を相手に戦うパニックホラーはいまなお様々な作品が生まれています。
最近小説を読んでいないので、小説でそういうものがあるのかはわかりませんが、漫画だとアイアムアヒーロー、彼岸島、インフェクション、パニックホラーという感じはしませんがテラフォーマーズも人外の怪物に人が殺されるという点では共通点があります。
テラフォーマーズがパニックホラーにならないのは、主人公側にも特殊能力が備わっており、対等に戦っているためどちらかというとワンピースやドラゴンボールのような印象の方が強くなっているからだと思います。
パニックホラーの要素として、主人公側は普通の人であり、普通の人と自分を重ね合わせることでより恐怖を掻き立てられるのではないでしょうか。
この、自分は絶対に安全なところから怖いものを見るということに人は快さを感じるようです。お化け屋敷なんかも同じ原理かと思います。怖いけど別に殺されたり痛い思いをするようなことはありません。
怖いと面白いが繋がっているのは興味深いですが、怖いだけではだめで、怖い思いをした後、自分はその怖い状況にはないことを確認することによって、マイナスからゼロへの上昇が生まれ心地よい気分になるのではないでしょうか。
そう考えると、気分の相対的な上昇を生み出すことができれば人は心地よいと感じるのだと思います。そして、その相対的な上昇幅が大きければ大きいほど心地よい。
パニックホラーは、読者や視聴者の気持ちを恐怖で一旦下に大きく落とし、そこから脱出するなり突破口を見出すなりして解決していく過程で気持ちが上昇し、心地よい気持ちにさせているのだと思います。