【Mindjet】アイデアを整理するにはやっぱりマインドマップ?おすすめのマインドマップツールを紹介

今日はテレビを壁掛けにするために四苦八苦していたらこんな時間に。

アイデアをまとめるツール「マインドマップ」

小説のアイデアに限らず、アイデアをまとめるツールとして一時期大流行したマインドマップ。今でもちょこちょこ見かけます。私も、流行っていた当時はいくつか本を買って読んでみましたし、公式のソフトも購入しました。

公式のソフトはだいぶ前に買ったんですが、確かに使い勝手がよく、マインドマップ発案者のトニーブザンさん公認というだけあって、正式なマインドマップの書き方にかなり忠実に作ってあります。 “【Mindjet】アイデアを整理するにはやっぱりマインドマップ?おすすめのマインドマップツールを紹介” の続きを読む

小説の最初の2、3行目ってどうなってるの?持っている小説で検証してみました。

小説は出だしで読者をつかむ必要がある

今まで、アイデアや構成については触れてきましたが、表現の仕方(レトリック)については全く触れていませんでした。手始めに今手元にある小説(本)の出だしがどうなっているのか気になったので調べてみることにしました。

小説は最初の2、3行で読者をつかむ必要があるので、作者はかなり気を遣っていると思います。

ハリーポッターと賢者の石の最初の三行

まずは、ファンタジー小説といえば「ハリーポッターと賢者の石」。読んだことない人でも知らない人はいない押しも押されぬ超有名小説です。私はハードカバーで全シリーズ持っていますが、今アマゾンで検索すると文庫版とKindle版しか出てこないんですね(画像は文庫版)。

プリベット通り四番地の住人ダーズリー夫妻は、「おかげさまで、私どもはどこからみてもまともな人間です」というのが自慢だった。不思議とか神秘とかそんな非常識はまるっきり認めない人種で、摩訶不思議な出来事がかれらの周辺で起こるなんて、とうてい考えられなかった。

「まとも」のところは本では点がついてましたが、できなかったので太字にしました。魔法使いの話というのがある程度わかっている前提で、魔法について完全否定の登場人物が最初に出てくるギャップ。自分でまともなんていう人はまともじゃなさそうですし、このあとどう絡んでくるのか気になります。出だしではないですが、第1章タイトル「生き残った男の子」というのもベタですが、いいつかみになっていると思います。

坂の上の雲の最初の三行

次に、全く分野は違いますが、「坂の上の雲」。日露戦争を描いた司馬遼太郎の代表作。この作品を読んだあと、NHKでドラマにもなったので全部見ました。八巻もありますが、ボリュームを感じさせない面白さでかなり短期間で読めました。

まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。
その列島の中の一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている、伊予の首邑は松山。

こちらは、ストレートにたった一行で舞台となる当時の日本を表現し、主人公たちのいる場所に焦点を向けます。シンプルですが、はっとさせられるというか当時の日本に意識が引き寄せられる感覚になります。

今後もこんな感じでもっている小説や、有名な小説の最初の2、3行を紹介していきたいと思います。

小説、ゲーム、漫画、映画等々の物語の作り方は違うのか?

いい小説の条件

いい小説の条件は、いいトリック(アイデア)・ロジック(構成)・レトリック(表現力)が重要という話がわかってきました。

ちょっと調べればわかる話だったのですが、あまりちゃんとこういったことについて調べたことがなかったので結構新鮮です(←やる気あるのか)。

個人的には、アイデアさえ面白ければ多少構成がめちゃくちゃでも、表現力がつたなくてもカバーできると思います。他方アイデアがダメだと、構成や表現力ではいかんともしがたい気がしています。また、構成で表現力はカバーできても、表現力で構成をカバーするは難しいとも思います。

物語は媒体を選ぶ?

それはともかく、物語を表現する方法には色々ありますが、この物語は小説じゃないととか、この物語は漫画じゃないととか、そういうものなのか、それとも面白い物語は媒体を問わないのかちょっと考えてみました。

というのも、三幕構成は映画の脚本の話しだし、これからも小説以外の物語を題材にした記事を書いていきたいと思っています。でもそもそも小説の参考にならないのであれば小説以外の物語の話はあまり意味がありません。

アイデアは媒体を問わないが、構成・表現力は媒体に依存する

私の中での結論としては、物語の要素をアイデア・構成・表現力で分けた場合、アイデアは媒体を問わない一方で、構成は媒体によって変わるというものです。

残りの表現力の部分は表現の方法が変われば当然大きく変わります。ここは小説の文章の書き方というテーマで記事を書いてみたいと思っていますが、当然漫画や映画なんかから引用はできません。

よく小説や漫画を映像化(映画化・ドラマ化・アニメ化)したり、ゲームを漫画化したりと表現の方法を変えて同じ物語が横展開するケースがあります。これは、面白い物語が表現の方法を問わない証明になるような気がしますが、よく見ると話の構成が変わっていたり、オリジナルストーリーが入っていたりします。

これは、アイデアは横展開が可能であるものの、媒体によって構成を変えないと上手く表現できない証明ともいえると思います。

短編小説は長編小説の練習になる?トリック・ロジック・レトリック

ネットで小説の書き方みたいなものを検索していたら、「短編で学ぶ小説講座」というPDFを見つけたので紹介します。

短編小説と長編小説の違い

短編と長編は書ける情報量以外は特に変わらないと書いてあるものの、短編はワンシーンを切り出すイメージ、長編は大アイデア・中アイデア・小アイデアのピラミッド構造になっていると書いてあります。

小説に共通の条件

その後の話は短編、長編共通でいえる、小説に必要な条件についてです。共通の条件とはトリック、ロジック、レトリックだそうです。

・トリック:広い意味で騙しのアイデア

・ロジック:話の辻褄が合っているかどうか

・レトリック:表現力

この三つの条件のほかに、頭に「フック」(最初の1,2行で読者をつかむとっかかり)と後ろに「お得」(読後に何かを得られること)が必要だそうです。「お得」は全部最後に「く」で韻を踏もうとして若干無理矢理感がありますね。

各条件の私なりの解釈

トリックというのは、その物語の核となるアイデアだと思います。私が最初に書いたギャップのような話も入るような気がします。意外性というか、そうきたか!みたいな。小説だけでなくどんな物語でもここが一番重要だと思います。

ロジックは当たり前に見えて実は結構難しいんじゃないかと思います。特に長編になればなるほど、最初のほうに書いていたことを忘れて、矛盾したことを書いてしまったり、頭の中の想像だけで書いていると、現実にはありえないことを書いてしまったり。ここはそういった辻褄だけではなく、物語の構成全体もロジックだと思います。

このPDFの中でも、面白い小説だったのに、バイクのアクセルを「踏んで」しまって一気に嘘くさくなってしまったみたいなことが書いてありました。バイクのアクセルは踏むのではなく回します。

レトリックは確かにあったほうがいいと思いますが、最近「小説家になろう!」というサイトで公開されていた盾の勇者の成り上がりという小説を読んで思ったのは、文章表現がどうこうではなく(失礼なことを書いて申し訳ありません)内容が面白ければ面白いんだということでした。

とはいえ、リアル鬼ごっこを本屋でチラ見した時は、どうしても受け付けませんでした。アイデアは好きだと思うのですが、文章がダメでした。これはレトリックの問題だったと思います。

私はトリック>ロジック>レトリックの順で重要なんじゃないかと思います。

七つの大罪にみる読者を惹きつける仕掛けの数々!

人を惹きつけるポイントが満載の漫画「七つの大罪」

最近、アニメ版七つの大罪を見ました。

最初本屋などで漫画の表紙を見かけたとき、正直そんなに惹かれませんでした。「ドラゴンボールっぽいマンガかな?」ぐらいの印象でした。

ところがアニメを見て、普通とのギャップやグループの要素がわかりやすく盛り込まれていて、すぐに惹き込まれました。

まず、主人公率いる7人の騎士団で七つの大罪。これは、7という数字が入ったグループ(四天王とか黄道十二宮とかと同じイメージ)であり、少しずつ登場してきて、次はどんな騎士が現れるのかわくわくします。現れる騎士もぜんぜん騎士らしくない人ばかりというギャップ。そして主役なのになぜかネガティブなイメージの七つの大罪というネーミングのギャップ。めちゃくちゃ強いのに少年の姿というギャップ。主役なのに普通の物語では悪役側の魔神族というギャップ。

魔神族・女神族・巨人族・妖精族・ホムンクルスといったファンタジーでよく出てくるグループ。女神族は普通の物語だと正義の味方っぽいのに悪い感じがする等々。

ギャップの要素とグループの要素が次から次に出てきます。

また、伏線の張り方もわざとらしくなく、あとできれいに回収していて、構成についても非常によくできていると思いました。私が考える、人がどうしても惹かれてしまう要素を全力で盛り込んだ作品だと思います。

構成も秀逸。少年漫画らしくあまり人が死なない所がややマイナス

強いていうなら、人が全然死なない(死んだと思わせてなんだかんだ生きていたり、一応死んでるんだけど普通に登場したり)のが若干リアリティを失わせていますが、これは現役最強の少年漫画(と勝手に思っている)ワンピースでもそうですし、おそらく少年を対象としている漫画でのお約束なんだろうと思います。

その割には同じ少年マガジンの中にもやたら人が死んだりするマンガもありますが。

昔からある言葉を違ったイメージで使う

七つの大罪や十戒といった言葉は聖書に出てくる昔からよく知られている言葉なんですが、そこから全く違うイメージを膨らませて、ストーリーを作り上げていくという手法。言葉の元のイメージにとらわれず、響きのかっこよさのようなものから連想していく発想力は物語を作るうえで参考になります。

第三幕はResolution(解決)アナと雪の女王に見る三幕構成4【ネタバレ注意】

最終局面、第三幕

当然、三幕目はエンディングへ向けてのさまざまな問題の解決になります。

第三幕は他の幕に比べかなり短いようです。短いのが当然というわけではなく、1990年代後半以降短くなったようで、過去にさかのぼればやたら第三幕が長い映画もあるのかもしれません。

ステップとしては、クライマックス→レゾリューション→エンディングとなるようです。

  • クライマックス

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第二幕はConfrontation(対立、衝突)アナと雪の女王に見る三幕構成3(ネタバレ注意)

物語の本編である第二幕の詳細

前回の記事に引き続き、三幕構成の第二幕の詳細についてみていきたいと思います。

物語の本編とも言える第二幕は、第一幕の最後、ファーストターニングポイントで明確になった問題を解決しようとするところから、すべての解決に向かって一気に進む直前までが描かれます。 “第二幕はConfrontation(対立、衝突)アナと雪の女王に見る三幕構成3(ネタバレ注意)” の続きを読む

第一幕はSetup(設定)?アナと雪の女王に見る三幕構成2【ネタバレ注意】

第一幕の中身

引き続き三幕構成について踏み込んで行きたいと思います。
まずは第一幕の中身について。第一幕は最初のシーンから、氷の魔法が皆にバレて城を飛び出してしまったエルサ(雪の女王)をアナが追いかけるところまででしたね。

第一幕は以下の構成で作られるようです。 “第一幕はSetup(設定)?アナと雪の女王に見る三幕構成2【ネタバレ注意】” の続きを読む

アナと雪の女王でみる三幕構成(序破急)の中身とは?【ネタバレ注意】

三幕構成をWikipediaで調べる

小説の構成についての基本型みたいなものを調べてみましたが、すぐにわかるものはありませんでした。

何かいい書籍などがあるかもしれませんが、読んで記事にまとめるには時間がかかるので、まずは困ったときのWikipedia先生が教えてくれる三幕構成の詳細に迫りたいと思います。

Wikipediaの三幕構成の説明はやたら長い

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文章の構成は起承転結じゃない?序破急、三幕構成について

小学生の頃、文章の構成は起承転結と習いました(今は違うのかな?)

そこで今日は文章構成の基本中の基本、起承転結についてドヤ顔でまとめようとWikipedia先生に聞いてみたら、起承転結はダメ的なことが書いてあってびっくり。

知らなかった。小説家になりたい人がそんなレベルで大丈夫か?と言う話ですが、以外と起承転結と思い込んでいる人は多いのではないでしょうか。

小説ではないですが、アメリカのドラマとかを見ていても、どこが起で、どこが承で、どこが転で、どこが結なのかよくわかりません(こじつけようと思えばできるのかもしれませんが)。でも続きが気になりすぎてすぐにレンタルDVD屋さんに駆け込んでしまうほど面白いです。

世界的な物語の構成の共通認識としては三幕構成というものがあるそうです。序破急は雅楽からきているそうですが、やはり構成を3つとしている点が共通しています。どちらかと言うと起承転結より序破急のほうが物語としての収まりがいいようです。

「構成なんて面白ければどうでもいいでしょ」とか「面白い物語作れないやつに限って構成みたいなマニュアル的なものにこだわるんだよな」とかネガティブな意見もあると思いますが、私は、とりあえず型を理解することは大事だと思っています。

まずは型通りできるようになる、次に型から少し逸脱してオリジナリティを出す、そしてゆくゆくは型に囚われないオリジナルの世界を創るという段階を踏む必要があると思っています。

いわゆる守破離です(これも3つですね)。

一時期、絵画展をよく見に行っていた時期があって、ゴッホとかピカソとかダリとかシャガールとか、有名な画家に共通している点を発見したんです。

絵を描き始めた初期の頃はみんな普通の絵が普通に上手い。ゴッホもピカソもダリもシャガールも、最終的にはその人の絵だ!ってわかる独特のタッチの絵を描いています。でも最初はみんな誰が書いたのかわからないような普通の絵が普通に上手。大体、絵画展って時系列に絵が並んでいて、だんだん独自の絵になっていきます。

私はその絵を見ていて、「ああ、この人はこの辺りで『絵っていうのはつまりはこういうことだ!』みたいなものを悟ったんだろうな、そして『だったらこの部分はどうでもいい、この部分は絶対外せない』みたいなことが自分の中で見えてきて、『自分にとっての絵はこれ!』みたいになっていったんじゃないかな」という思いを感じていました。

こういった芸術や技術に関係するものは、すべからくこの過程を踏んでいかないといけないと思います。型通りにできるからこそ元の型との差がわかり、それがいい差なのか悪い差なのかがわかり、最後は方を離れて完全オリジナルにいたることができるのだと思います。