長距離を速く走ることと人生の共通点

長距離を速く走るのに力は要らない

1回フルマラソンの大会に出た事で、長距離を速く走るにはどうすればいのかということについて真剣に考えるようになりました。

普段生活していくうえで、走るということに関してそこまで深く考えることはありません。しかし、マラソンのような長距離を速く走りたいと考えると、そもそも走るというのはどういうことなのかというところまで落とし込んで考えなければならなくなります。

走るというのは、手足を使って体を前に進めるという動きです。歩くのと違うのは走るのは体が空中に浮いている期間があるのに対し、歩くのは無いというだけです。

そして、走るイメージは体の重心の真下に軸足を「置いて」、後ろに流れているもう一方の足を「引きつける」という動作になります。

走ることについて漠然と考えていると、なんとなく軸足になっている足を後ろに「蹴って」前に進んでいるようなイメージになりますが、そのような足の使い方をしているとすぐにふくらはぎが限界に来てまともに走れなくなります。短距離なら限界に来る前に終わるかもしれませんが、フルマラソンのレベルになると厳しいです。

さらに、走る時はできるだけ体全体を使って前に進む力を得ないといけませんが、この時、力を入れてしまうと体が固まってしまい無駄なエネルギーを消耗してしまいます。

できるだけ、体の力を抜いて自然に動くに任せたほうが怪我もしにくく、疲れにくくなります。

人生に共通するマラソンの極意

このように、力をできるだけ抜いて、筋力ではなく体の動かし方で走るというのは、人生でも似たようなことがいえると思います。

人生はとにかく全力で頑張れば報われると言うわけではありません。常に全力を出し続けるとしまいには燃え尽きてしまいます。それよりも、できるだけ引いた目でチャンスを窺い、チャンスが来たらいつでも迅速に行動できるように、常日頃は力を抜いておくべきだと思います。

しかし、力を抜くといってもダラダラと日々サボっていればいいという話ではありません。マラソン同様、目標に向かって走り続けている前提です。その上で、変に力を入れすぎずに自然体で努力を続け、チャンスを窺うイメージです。

そして、人の話を鵜呑みにせず、真実は逆なんじゃないかなど、実体験と照らし合わせたトライアンドエラーを繰り返しながら、自分が携わっている物事について深く考えるというのも共通していると思います。

 

終わりがあるかないかで行動が変わる?人生に必ず来る終わり

オープン当初からプレイしていたゲームのサービス終了

蒼海の武装商船というゲームをオープン当初からプレイしていましたが、2月8日でサービスが終了します。サービス提供期間は2年3ヶ月弱ぐらいのゲームでしたが、最初はがんばってプレイしていたものの、スマホでスキマ時間にできなかったり、ゲーミングマウスが無いと戦闘が難しかったりとハードルが高く、途中からは適当なプレイになってしまっていました。

サービス終了がわかると、今まで温存していたものの意味が無くなるので、遠慮なくどんどん使ってしまうことができます。しかし、このようにどんどん温存していたものを惜しみなく使っていてふと思うのは、温存していたものはいつ使うつもりだったのかという疑問です。

ゲームにも人生にも終わりがある

温存していた理由は、今よりもっと効果的に利用できるシチュエーションが来る可能性があるためです。これ、例えば人生でお金をどのように使うかという話と似ています。我々の人生は大体80年ぐらいあり、その間に紆余曲折あります。

人生の序盤から中盤、まだ寿命が来るまでに期間がある間はできるだけお金が尽きてしまわないように行動する必要があります。しかし、その行動を死ぬまで続けていたら、最後に多額のお金を残して死ぬことになります。まあ、子供や孫のために残して子孫を繁栄させるという目的があればそれでもいいのかもしれませんが、自分で稼いだお金を自分のために使おうと考えた場合、行動パターンは終盤になるにつれて変えて行かなければなりません。

オンラインゲームのサービス終了時期は読めないので、いつまでもこのゲームがなくならないのであれば温存しているものが絶好のタイミングで使える可能性が高くなりますが、いつか終わりが来ることを考えると絶好ではないにせよある程度効果的なタイミングで使っていかないと、死蔵されたまま終わってしまう可能性が出てきます。

使うタイミングを考えるべきもう一つの理由

いつまでも温存して機を窺うのではなく、適度に使っていくべきもう一つの理由はインフレです。現実世界の日本では、現状数十年間デフレ状態なので、お金を温存すればするほどお金の価値が上がっている状況です。このため、温存が正当化されます。これが、何かのきっかけでインフレが再開された場合、お金は温存すればするほど価値が減少していきます。

このように、現実世界では今がデフレかインフレかでもお金を使うタイミングを考える必要が出てきますが、ゲームの場合は基本的にインフレが平常です。次から次へとより強いキャラクターカードが現れ、過去のカードは相対的に弱体化していきます。現在のカードをいつか強化しようと温存していると、そもそも強化する必要がなくなって、使う機会を逸したりします。

バッファーという考え方

お金やゲームの資源を使うにあたり、万が一の時にここまであればというラインはあると思います。そのラインは侵さず、ギリギリまで使うというのはひとつの考え方だと思います。これは生産管理でのバッファーという考え方と同じです。

生産管理と同じ考え方で考えるとするなら、お金はよりお金を増やす可能性がある事に投資する、ゲームではよりよい成績を残す可能性がある事に投資するということが重要になると思います。

失敗したということは成功にチャレンジしたということ。物語と人生に共通する重要なポイント

「成功したい」のか「失敗したくない」のかの大きな違い

物語を作るうえでも、何事もなく日々が過ぎてしまうと物語として成立しません。面白い物語には、多かれ少なかれ何らかの障害や課題があり、それを乗り越える必要があります。 “失敗したということは成功にチャレンジしたということ。物語と人生に共通する重要なポイント” の続きを読む